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義淵(ぎえん・ぎいん、皇極天皇2年(643年) - 神亀5年10月20日(728年11月29日))は、奈良時代の法相宗の僧。『続日本紀』〔『続日本紀』神亀4年12月条〕によると俗姓は市往氏〔鈴木真年『百家系図』巻46 岡連、『百家系図稿』巻5 市往公 岡連 では、市往氏は百済系渡来氏族で鬼室福信の弟福応を祖とし、帰化後大倭国高市郡市往に居住したことから、その地名を賜姓された。また、義淵の父を市往福応、母を阿刀忍古の娘炊売とする(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会,1986年 による)。〕であるが、『扶桑略記』では大和国高市郡の出身で俗姓を阿刀氏とする。 父母が長年観音菩薩に祈願して授かった子で、天武天皇により皇子とともに岡本宮で養育されたという。出家して元興寺に入り唯識・法相を修め、龍蓋寺(=岡寺)などの5ヶ龍寺を創建した。文武天皇3年(699年)、学行褒賞で稲1万束を賜り、大宝3年(703年)に僧正に任じられた。元正・聖武両天皇の下で内裏に供奉した。『続日本紀』には、先代からの行いを称され727年(神亀4年)に岡連の姓を賜り兄弟に仕えることを許された、とある。 『三国仏法伝通縁起』によれば、弟子に玄昉・行基・隆尊・良弁などがおり、道慈・道鏡なども義淵の門下であったという。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「義淵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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