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羽佐間 正雄(はざま まさお、1931年10月29日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元NHKアナウンサー。 == 人物・経歴 == 東京都出身。赤穂浪士の間光興の直系の子孫である。俳優・声優の羽佐間道夫は実弟、フジサンケイグループ代表で産業経済新聞社元社長の羽佐間重彰は従兄弟に当たる。またオペラ歌手:三浦環の親戚でもある。 法政大学卒業後、製薬会社に勤めていたが、1954年7月に2次募集採用でNHKに入局、アナウンサーとなり、初任地は防府局(現在の山口局)で、以後、広島→東京→大阪→福岡→東京で勤務。スポーツアナウンサーとして活躍した。 1961年、広島局時代に日本のプロゴルファー第1号、福井覚治の子・福井康雄を招いて自ら企画した番組は、日本のゴルフ番組の草分けともいわれる〔週刊現代 2011年10月29日号〕。福井は倉本昌弘の師匠としても知られる。 スポーツアナウンサーとしてオリンピック実況11回、ゴルフ、プロ野球、サッカー、陸上競技、スキーなどカバー範囲は多岐に渡った。 羽佐間が実況を担当した試合・大会は数多いが、代表的なものとして * 1964年10月の東京オリンピック陸上競技での男子棒高跳決勝、フレッド・ハンセン(アメリカ)と(西ドイツ/当時)の9時間以上に亘る激戦〔オリンピック実況の裏側とV9監督・川上哲治の素顔――羽佐間正雄さん』 文化放送 docomo団塊倶楽部 2013年7月13日放送〕 * 1969年夏の全国高等学校野球選手権大会決勝「三沢高校対松山商業戦」。「史上初の引き分け再試合であります」と放送する〔甲子園大会での引き分け再試合は決勝戦では初であったが、大会本戦での試合としては3例目だった。〕。 * サッカーワールドカップ決勝戦を2大会連続(1978年 アルゼンチン大会:アルゼンチンvsオランダ戦、1982年 スペイン大会:イタリアvs西ドイツ戦)で実況を担当。 * 1980年の全米オープンゴルフ最終日、ジャック・ニクラウスと青木功の優勝を賭けた死闘〔第二回 全米オープンの若武者 石川遼 羽佐間正雄コラム〕。 * ソウルオリンピック陸上競技男子100m決勝の実況では、スタート前に「ベン・ジョンソン、筋肉のかたまり」という言葉を発した〔後日、世界新記録で優勝したジョンソンがドーピングの疑いで金メダルを剥奪された際に、羽佐間が実況したこの場面が何度もニュースで流れることになった。〕。 などがある。 1987年には「全米スポーツキャスター協会賞」の特別賞を日本のスポーツアナウンサーとして初めて受賞し、殿堂入り。1989年に役職定年もありNHKを退職したが、その後もしばらくは嘱託契約の専属キャスターとして実況を担当していた(高校野球の実況は1988年夏の大会決勝戦の広島商業高校vs福岡第一高校戦を最後に退く)。 1993年に入ってからはNHKとの嘱託専属契約を終わらせ、フリーアナウンサーとして民放に活躍の場を広げた。テレビ東京ではスポーツニュース・ゴルフ中継の実況、ニッポン放送ではインタビュー番組「トヨタ・スポーツドリームパーソナリテイーを担当した。 2007年2月23日、日本プロゴルフ協会から名誉顧問に認定される。認定されたその他の著名人は川上哲治(プロ野球東京讀賣巨人軍元監督)、会員として小林旭(俳優)などがいる。 2011年10月26日に設立された日本プロゴルフ殿堂の表彰選考委員会の委員長となった〔日本プロゴルフ殿堂:設立へ 第1回は来年2月にも決定 毎日新聞 2011年10月26日閲覧〕。 現在は自身の事務所であるオフィスカノン代表取締役会長を始め、日本プロゴルフ協会名誉顧問、大阪総合スポーツ財団副会長、血液を大切にする会(理事)、法政大学マスコミ会名誉会長、キングフィールズゴルフクラブ常任理事、磯子カンツリークラブ理事、青島ゴルフ倶楽部顧問、飯田カントリー倶楽部顧問などの役職を務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「羽佐間正雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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