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羽咋七塚(はくいななつか)は、石川県羽咋市にある7つの塚の総称。 いずれも第11代垂仁天皇の第十皇子・磐衝別命(石衝別王)に関係が深く、磐衝別命とその子孫が当地を治めたという伝承に由来する。うち2つの塚は宮内庁により管理されている〔宮内省諸陵寮編『陵墓要覧』 (1934年、国立国会図書館デジタルコレクション)9コマ。〕。 == 七塚一覧 == 大塚 (おおつか) * 宮内庁名:磐衝別命墓〔 * 別称:御陵山 * 所在地:川原町() * 被葬:磐衝別命(垂仁天皇の第十皇子) : 長さ約100mの前方後円墳で、5世紀中頃の築造。付近の本念寺裏庭にある天井石から、横穴式石室を有したと考えられている。 大谷塚 (おおたにづか) * 宮内庁名:磐城別王墓〔 * 別称:王児塚、観音塚 :: 「大谷塚」:隣接する本念寺(真宗大谷派)に由来。 :: 「観音塚」:墳丘上にあった稲荷社の神体が観音菩薩であったことに由来。 * 所在地:川原町() * 被葬:磐城別王(磐衝別命の子) : 長さ45m、高さ7mの円墳。初めは70mほどの前方後円墳であったのが削り取られた、もしくは大塚と一体でその前方部であった、とも伝えられる。 水犬塚 (みずいぬづか) * 別称:三犬塚、薬師塚 :: 「薬師塚」:少彦名神社の神体が薬師如来であったことに由来。 * 所在地:川原町() * 被葬:三匹の犬と怪鳥 : 領民を苦しめる怪鳥を磐衝別命が射落とし、三犬が噛み殺したと伝えられる(「羽咋」の地名の由来)〔ただし『羽咋郡誌』では、気多大社祭神の大国主命が平定のために積んだ矢の羽をねずみが食べたことに由来する、としている(羽咋の歴史と史跡 <個人サイト>参照)。〕。現在は少彦名神社が鎮座し、削られていて大きさは不明。 宝塚 (たからづか) * 別称:稲荷山 :: 「稲荷山」:稲荷家(羽咋の古代豪族)の墓に由来。 * 所在地:川原町() * 被葬:磐衝別命の遺品・埴輪、または羽咋弥公(磐衝別命子孫)とも : 円墳で、四方・頂上部が削り取られている。 姫塚 (ひめづか) * 所在地:川原町() * 被葬:三足比咩命(みたらしひめのみこと、磐衝別命の妃) : もとは現在地の東方に直径約20mの円墳としてあったが、七尾線開通に伴い移転。頂上にあった三俵苅社は羽咋神社に合祀され、石像も羽咋弥公の墓に移された。 剣塚 (つるぎづか) * 所在地:川原町() * 被葬:磐衝別命の剣 : 七尾線開通前は塚周辺に「八幡の森」と呼ばれる森があった。八幡の森は磐衝別命の屋敷跡または羽咋神社の元宮と伝えられる。 痛子塚 (いたごづか) * 別称:板子塚、皇子塚 :: 「板子塚」:付近の地名に由来。 * 所在地:東川原町() * 被葬:磐衝別命の娘 : 三足比咩命(磐衝別命の妃)が病気になった時、悲しみのあまり死去した王女の墓とされる。古くは直径25mほどの円墳であったとされるが、現在は一本の松が立つのみである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「羽咋七塚」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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