|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 羽 : [わ, はね] 1. (n-suf) counter for birds 2. counter for rabbits ・ 藤 : [ふじ] 【名詞】 1. wisteria ・ 栄 : [さかえ, はえ] 【名詞】 1. glory 2. prosperity ・ 市 : [し] 1. (n-suf) city
羽藤 栄市(はとう えいいち、1903年3月25日 - 1985年11月22日)は、日本の政治家。愛媛県副知事・衆議院議員(1期)・愛媛県今治市長(5期)などを歴任した。 ==人物== 愛媛県越智郡桜井村(現:今治市)生まれ。 逓信官吏練習所を卒業後、高等文官試験に合格し東京逓信局に勤務。その後、青島電信局長や陸軍司政官、四国電気通信局長(初代)を経て1951年に愛媛県副知事に就任した。副知事在任中は愛媛県松山市にある松山郵政局の高松市への移転の動きがある中で、松山市と協力し郵政研修所の誘致を実現し郵政局の市外への移転を阻止することに貢献した。「副知事を置かない条例」が愛媛県議会で可決され、1954年に副知事を辞職した。 1958年2月に行われた第27回衆議院議員補欠選挙では愛媛県第2区 (中選挙区)から日本社会党公認候補として出馬し73,519票を獲得し当選を果たしたが、3ヵ月後の第28回衆議院議員総選挙では49,651票を獲得するも落選した。 1962年には今治市長選挙に立候補し初当選を果たした。その後は5期連続当選し、在任中は玉川ダムの建設や港湾設備・大規模住宅団地などの整備を進めた。市長退任後の1982年には今治市から名誉市民を称号が贈られている。 1985年11月22日に肺炎によって死去した(享年82)〔『朝日新聞』1985年11月23日朝刊「羽藤栄市氏死去」〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「羽藤栄市」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|