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羽鳥 又男(はとり またお、1892年4月20日 - 1975年9月30日)は、群馬県勢多郡富士見村(現群馬県前橋市)出身。台湾総督府中央研究所職員を経て、台南市の市長を務めた。台南市長在任中、第二次世界大戦中という時勢の中、赤崁樓の修復作業を進めたことで知られる。 == 略歴 == 羽鳥又男は1892年4月20日に富士見村の村長である羽鳥多三の四男として生まれた。1906年4月に石井尋常高等小学校(現:前橋市立石井小学校)を卒業、同年12月、東京私立正則予備学校(現正則高等学校)にて中学校第二学年の修了証を得る。1909年6月16日、資格試験に合格し、群馬県の尋常小学校の準教員資格を取得した。合格後すぐの7月23日、母校の尋常科準訓導を務めた。1912年8月に教育会開設講習会にて法制課を受講する。同年12月10日、石井実業補修学校の準訓導心得を兼任する。翌年12月2日、尋常小学校本科正教員の資格を取得し、12月31日母校の訓導に着任した。1915年12月21日退職。 1916年夏、羽鳥は親戚の医学博士、羽鳥重朗の推薦により台湾に渡航した。1918年より台湾総督府の中央研究所職員に着任し、1926年9月には台湾総督府総督官房秘書課に転任した。さらに1934年9月の総督府理事官、1936年の総督府人事課長を経て1942年4月には台南市長に就任した。 台南市長時代は文化財保護に強い関心を持った。具体的な活動としては臺南孔廟の修復および式典の復活(1943年-1944年、皇民化運動の際に設置された神棚の撤去なども行った)や、日本軍に徴用される予定だった開元寺の古鐘を保護したり、戦時中にもかかわらず赤崁樓の修復に尽力するなどした。 赤崁樓の修復作業は1943年3月1日に始められ、1944年12月20日に完了した。総工費65,000円。この修復作業は台湾總総督府の支持を得られず、日本軍も作業を妨害したが、羽鳥は赤崁樓の修復を完遂した。1945年3月正五位勲五等瑞宝章に叙せられた。同年5月に市長を解任されたのちも台南に留まった。日本の降伏後も台南州接管委員会のアドバイザーとして台南市政にかかわった。 1947年1月に日本へ帰国し、佐世保港へ上陸した 日本に引き上げた後は引揚援護院長官で前日本YMCA同盟総主事斉藤惣一の推薦により、日本国際基督教大学建設委員会の主事に就任した。この功績により1971年、羽鳥は日本YMCAの特別功労賞を受賞した。1975年5月には東京YMCAの第一号名誉会員として推薦された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「羽鳥又男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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