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羽黒山 政司(はぐろやま まさじ、1914年11月18日 - 1969年10月14日)は、新潟県西蒲原郡松長村(現:新潟県新潟市西蒲区)出身の元大相撲力士。第36代横綱。本名は小林 正治(こばやし まさじ)。 == 来歴 == === 入門~スピード出世で横綱へ === 1914年11月18日に新潟県西蒲原郡松長村(現:新潟県新潟市西蒲区)で農家を営む家に三男として生まれる。地元・新潟県の土地相撲で活躍した父親の血を引いたのか、幼少期から大兵だった。当時、新潟では風習で風呂屋の主人を志すことがあり、正治少年も1929年に上京して、伯母が両国で経営していた銭湯「朝日湯」へ奉公に出て三助をやっていた。 正治少年が三助として奉公に出てからしばらくしたある日、「銭湯の三助が怪童」との噂を聞きつけた、朝日湯の隣にあった錦嶌部屋から熱心にスカウトされたが、三助で食べていくために丁寧に断り続けた。しかし今度は正治少年の噂を聞きつけた立浪から連日のようにスカウトを受けたが、度重なる攻勢に正治少年は次第に心を閉ざし、伯父の経営する世田谷区の風呂屋へ逃げ込んだ。しかし立浪は、逃げ込んだ世田谷の風呂屋にまで足を運んで正治少年をスカウトし続け、「横綱になればもっと親孝行が出来るぞ」の言葉に心が動き、ついに立浪部屋へ入門を決意した。 最初から出身地に因んだ「羽黒山」の四股名で(大字が羽黒だった)、1934年1月場所で初土俵を踏む。これ以降、双葉山定次の胸を借りながら徐々に力を付け、序ノ口から幕下まで1場所で通過し、さらに関取増員の影響もあって僅か3年後の1937年1月場所には十両へ昇進した。その十両も僅か1場所で通過し、初土俵から所要7場所という最速で、1937年5月場所には新入幕を果たした。 入幕後も羽黒山のスピード出世は止まらず、平幕2場所、小結2場所、関脇1場所で1939年5月場所後には大関に昇進する。大関で一場所だけ途中休場(1940年5月場所)があったが、1941年1月場所は前田山の張り手戦法に屈した黒星だけの14勝1敗で双葉山と優勝同点〔優勝決定戦制度はなく双葉山が上位者優勝。〕、5月場所もやはり14勝1敗で2敗の双葉山をおさえて初の幕内最高優勝を果たし、場所後に横綱昇進。大関も4場所での通過となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「羽黒山政司」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Haguroyama Masaji 」があります。 スポンサード リンク
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