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翁同龢 : ミニ英和和英辞書
翁同龢[おきな]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おきな]
 【名詞】 1. old man 2. venerable
: [どう]
 【名詞】 1. the same 2. the said 3. ibid. 

翁同龢 ( リダイレクト:翁同ワ ) : ウィキペディア日本語版
翁同ワ[おう どうわ]

翁 同龢(おう どうわ、''Weng Tonghe''、1830年 - 1904年)は、末の政治家・書家。翁同和とも書く。字は叔平、号は松禅。晩年は瓶庵居士と号した。末の政治家・書家翁心存の3男で翁同書翁同爵の弟。江蘇省常熟出身。
父は咸豊同治期の大学士咸豊帝恭親王奕訢兄弟の師であった。長兄の翁同書は安徽巡撫に至ったが曽国藩李鴻章らに弾劾された。これにより後年、李鴻章と厳しく対立することとなった。
1856年状元となり、同治帝光緒帝の師を務めた。官職は工部尚書・軍機大臣総理各国事務衙門大臣に至った。1873年楊乃武と小白菜事件では判決に疑義をはさんだため、西太后は再審を命じた。このため事件は「両湖派」と「江浙派」の対立に発展した。
帝師という立場から皇帝の政治思想に深い影響を与え、1889年に光緒帝が親政を始めると馮桂芬の『校邠盧抗議』を提出し、西洋の学問の重要性と穏健な改革を説いた。1884年清仏戦争では劉永福を支持し、1894年日清戦争では主戦論を唱えている。光緒帝の親政と共に李鴻藻と並ぶ派閥(帝党)の領袖となり、西太后・李鴻章ら后党と対立していった。
変法運動が高まると、康有為を光緒帝に推薦したが、戊戌の変法の直前に西太后に迫られた光緒帝に解任されてしまった。その後、故郷で病死した。文恭の諡号が贈られた。
著作に『瓶庵詩稿』『翁文恭公日記』『翁文恭公軍機処日記』などがある。書の分野においても著名であった。晩年には書の代筆に趙古泥を起用している。
== 関連項目 ==

*中国の書家一覧


category:強学会の人物
category:中国の能書家




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「翁同ワ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Weng Tonghe 」があります。




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