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翟斌 ( リダイレクト:テキ斌 ) : ウィキペディア日本語版
テキ斌[てきひん]

翟斌(てきひん、拼音:Dí Bīn、? - 384年)は、五胡十六国時代丁零族の首長。
==生涯==
翟斌の一族は代々康居に住み、後に中国に移った〔『資治通鑑』卷第九十四〕。
330年、翟斌は後趙に入朝し、句町王に封ぜられる。
371年1月、前秦苻堅は関東の豪傑及び雑夷15万戸を関中に、烏桓族を馮翊郡北地郡に、丁零族の翟斌を新安郡澠池郡に移住させた。
383年12月、前秦の衛軍従事中郎であった翟斌は河南で挙兵し、前秦の豫州牧で平原公の苻暉洛陽で攻めた。長楽公の苻丕慕容垂苻飛龍にこれを討たせたが、慕容垂は南下して丁零と結び、苻飛龍を殺し、ことごとくその衆を生き埋めにした。慕容垂は密かに前燕の旧臣と前燕を復興させることを謀っており、丁零の翟斌と兵を起こして前秦に叛いたのである。慕容鳳及び燕の故臣の子である燕郡の王騰、遼西の段延らは翟斌の挙兵を聞き、各部曲を率いてこれに帰した。平原公の苻暉は武平武侯の毛当に翟斌を討たせた。丁零の衆は翟斌に随従し、秦兵を大敗させ、毛当を斬った。翟斌は遂に陵雲台戍に侵攻し、万余人の甲仗を収める。
384年1月、慕容鳳,王騰,段延らが慕容垂を盟主に奉じることを勧めたので、翟斌はこれに従った。慕容垂は大将軍,大都督,燕王と称して後燕を建国すると、弟の慕容徳を車騎大将軍・范陽王とし、兄子の慕容楷を征西大将軍・太原王とし、翟斌を建義大将軍・河南王とし、元扶餘王の餘蔚を征東将軍・扶餘王とし、昌黎鮮卑の衛駒を鷹揚将軍とし、慕容鳳を建策将軍とした。2月、慕容垂は丁零,烏桓の衆20余万を率いてを攻めたが、陥落できなかった。7月、翟斌は功を恃んで驕り高ぶり、鄴城を陥落できずにいる慕容垂に対して密かに弐心を抱いた。これに気付いた太子の慕容宝,范陽王の慕容徳,陳留王の慕容紹,驃騎大将軍の慕容農らは翟斌を排除することを慕容垂に請うたが、功績のある翟斌を排除することはできないと、申し出を却下した。ある日、翟斌は尚書令になることを請うたが、慕容垂に断られたため、密かに前秦の長楽公である苻丕と通謀し、丁零人たちに堤防を決壊させた。この事が発覚し、翟斌及びその弟翟檀,翟敏は慕容垂に殺された。翟斌の兄の子である翟真は夜に営衆を率いて北の邯鄲に奔走した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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