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老河口作戦(ろうかこうさくせん)とは、日中戦争中の1945年4月から6月の間に行われた、河南省西部および湖北省北部での日本軍と中国軍の攻防戦である。中国側呼称は豫西鄂北会戦。日本軍は老河口飛行場の占領に成功して戦略目標を達成したが、中国軍から激しい反撃を受けた。 ==背景== 日本軍は、前年1944年(昭和19年)に実施した大陸打通作戦によって、鉄道線を確保するとともに、中国方面の連合国軍飛行場を制圧して、制空権の奪取・本土空襲阻止を図っていた。ところが、同作戦の結果、日本軍は各地の連合国軍飛行場の占領には成功したものの、連合国側は奥地の湖北省老河口や湖南省芷江付近などにも飛行場を整備し、1944年秋以降、活発な航空作戦を継続できた。そのため、せっかく確保した鉄道も空襲を受けて利用が困難だった。 そこで、日本の大本営は、再び同様の飛行場制圧作戦を実施することにし、1945年(昭和20年)1月22日、支那派遣軍に対して老河口作戦と芷江作戦の実施を命じた。これを受けて支那派遣軍は、1月29日に隷下の北支那方面軍と第6方面軍に実行命令を発した。なお、現地の軍司令部には事前に作戦の内示がされて、すでに具体的検討が行われていた。 老河口作戦を担当する第12軍は、3月23日の作戦開始を決定した。日本側の作戦計画は、河南省側から主攻勢を行うものである。が機動力を生かして老河口飛行場を制圧するとともに、第110師団を右翼(魯山県方面)、第115師団を左翼(舞陽県方面)として進撃させ、西峡口から老河口に至る線を確保する計画だった。騎兵第4旅団は、当時の日本軍に唯一残った大規模な乗馬騎兵部隊である。機動打撃力を増すため、戦車第3師団も参加している。ほかに、第34軍が湖北省方面から1個師団で、第1軍が一部をもって洛河流域から洛寧県の歩兵第110連隊(第110師団所属)と協力し、それぞれ牽制作戦を実施した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「老河口作戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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