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耶律撻不也(やりつ たつふや、生年不詳 - 1077年)は、遼(契丹)の軍人・政治家。字は撒班。 == 経歴 == 季父房の後裔。林牙の耶律高家の子として生まれた。清寧年間、牌印郎君に補任され、永興宮使に累進した。9年(1063年)、耶律重元の乱の鎮圧にあたり、功績により知点検司事となった。平乱功臣の称号を賜り、懐徳軍節度使として出向した。咸雍5年(1069年)、遙輦剋に転じた。 太康3年(1077年)、北院宣徽使に任じられた。耶律乙辛が皇太子耶律濬を害そうとしていたため、撻不也は乙辛や蕭得裏特・蕭十三らを殺害しようとした。乙辛はこれを察知して、撻不也が道宗の廃立を計画していると仲間に誣告させたため、撻不也は処刑された。 乾統年間、漆水郡王に追封され、画像が宜福殿に飾られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「耶律撻不也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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