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耶律敵烈(やりつ てきれつ、1026年 - 1092年)は、遼(契丹)の政治家・軍人。字は撒懶。 == 経歴 == 採訪使耶律吼の五世の孫にあたる。学問を好み、文章を得意とした。重熙末年、牌印郎君に補任され、知起居注を兼ねた。 清寧元年(1055年)、同知永州事となり、反乱の鎮圧に功績を挙げて、北面林牙承旨に転じた。9年(1063年)、耶律重元が乱を起こすと、反乱の平定にあたって、臨海軍節度使に任じられた。10年(1064年)、武安州観察使に転じた。咸雍5年(1069年)、長寧宮使に累進した。戸部司の乾州での銭帛や負債を管理して、出納の方法を確立したので、官民双方に便益となった。太康4年(1078年)、南院大王となった。任期を終えると、部民が留任を求め、同知南京留守事となった。病床に伏したため、道宗が宮殿に運ばせ、太医に容態を看させた。上京留守となった。 太安年間、塌母城節度使に転じた。病のために致仕し、兼侍中を加官され、一品の俸給を賜った。8年(1092年)、死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「耶律敵烈」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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