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耽羅(たんら、ちんら〔『古事類苑』、神宮司庁、1903年、269頁、「耽羅ハ一二耽牟羅二作ル、或ハ度羅二作ル」とされ、同頁の和漢三才図会 十三 異国人物 耽羅 耽牟羅の記載において、耽羅のふりがなに「ちんら」がみえる。〕、)は、朝鮮半島沖の済州島に古代から中世にかけて存在した王国である。百済、統一新羅、高麗に内属し、15世紀初め李氏朝鮮に完全併合された。耽牟羅(たむら)、屯羅(とんら)とも表記される〔ほかに、州胡(チュホ)、渉羅(ソムナ)、純羅(スルラ)、度羅(トラ)という表記も見られる。〕。 == 略年表 == この年表の月は旧暦表示である。 *476年4月 百済の文周王に朝貢した(『三国史記』)。 *498年9月 百済の東城王に服属した(『三国史記』)。 *508年12月 南海中の耽羅人が初めて百済国と通じた(『日本書紀』)〔『日本書紀』19継体天皇2年12月 南海中耽羅人初通百済国。〕。 : 梁職貢図に百済の附庸国で下枕羅 *660年6月 百済滅亡 *661年5月 王子の阿波伎らを派遣して日本に対して初めて朝貢を行った〔『日本書紀』26斉明天皇7年5月丁己条 耽羅始遣王子阿波伎等貢獻。〕。 *662年2月 新羅の文武王に来降し、これ以後は新羅の属国となった(『三国史記』)。 *665年8月 日本へ使者を送って来朝した〔『日本書紀』27天智天皇4年8月条 耽羅遣使来朝。〕。 *666年1月 王子の姑如らを日本に派遣して朝貢した〔『日本書紀』27天智天皇5年春正月戊寅条 是日耽羅遣王子始如等貢獻。〕。 *667年7月 佐平の椽磨らを日本に派遣して朝貢した〔『日本書紀』27天智天皇6年7月己巳条 秋七月己未朔己巳。耽羅遣佐平椽磨等貢獻。〕。 *669年3月 王子の久麻伎らを送って日本に朝貢した。日本は耽羅王に五穀の種を賜い、その上で耽羅の王子らは帰国した〔『日本書紀』27天智天皇8年条 己卯朔。己丑(3月11日)耽羅遣王子久麻伎等貢獻。丙申(3月18日)賜耽羅王五穀種。是日王子久麻伎等罷歸。〕。 *673年5月 王子の久麻藝や都羅、宇麻らを送って日本に朝貢した〔『日本書紀』29天武天皇2年5月壬辰条 耽羅遣王子久麻藝都羅宇麻等朝貢。〕。 *673年8月 天武天皇即位にあたり耽羅王と王子の久麻藝らに大乙上の冠位を賜る。 *675年9月 王子の久麻伎が入貢し筑紫に宿泊する。 *675年9月 耽羅王姑如が難波に来朝する。 *676年2月 天武天皇が耽羅の使者に船一艘を賜る。 *677年8月 王子の都羅らを日本に送って朝貢した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「耽羅」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tamna 」があります。 スポンサード リンク
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