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耿京(こうきょう、生年不詳 — 1162年)は金朝山東済南の人。 大定元年(1161年)、耿京は李鉄槍等と共に反金の兵を挙げ、済南東山を占拠し泰安、莱蕪へと進撃した。間もなく辛棄疾が2,000余人を引き連れて耿京の配下に参加するなどし間もなく数万人の勢力となった。1162年、耿京は賈瑞、辛棄疾を建康に派遣し南宋に臣属し、高宗より天平軍節度使に封じられた。 1162年、耿京は部下の張安国、邵進の叛乱に遭い殺害された。辛棄疾はこの叛乱を知るや張安国を殺害し、耿京の勢力を率いて南宋に下った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「耿京」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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