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聖タデウス修道院(アルメニア語: 、アゼルバイジャン語:、ペルシャ語: )とは、「黒の教会」とも呼ばれる古代アルメニア人の修道院である。イラン北西部・西アーザルバーイジャーン州の町マクの西方20キロメートルに位置する〔Index of Armenian Art: Armenian Architecture 〕〔Jude: A Pilgrimage to the Saint of Last Resort By Liz Trotta〕。1997年に、UNESCOの世界遺産暫定リストに登録され、2008年の第32回世界遺産委員会において、「イランのアルメニア人修道院建造物群」を構成する1つとして、世界遺産に登録された。 == 概要 == 聖タデウス修道院は、2本の尖塔のあるタンブール(円柱)によって特徴付けられる重厚な印象を与える修道院である。修道院には、複数の聖堂が存在する。3つは、東側を流れる小川のほとりの丘の上にあり、もう1つは、修道院から南に3キロメートルほど離れた、バスタムへといたる道路上にあり、もう1つは、Ghara-Kilse村の協会として、現在も機能している〔Thadeus Monastery at Armenica 〕。 十二使徒の一人である聖タダイ(タデウスとも呼ばれる)は、福音を広めているさなかに殉教した。タダイはアルメニア使徒教会によって崇敬されてきた(他のほとんどの教派においてもタダイは崇敬されている)。伝説では、聖タデウス修道院の創建は68年に遡るとされる。 1319年、この地域において大地震が起こったため、1329年に再建された。とはいえ、聖餐台の周りには10世紀からの遺構も残っている。 現在残る修道院の多くがガージャール朝時代の王子アッバース・ミールザーが19世紀初頭に修復を行ったものである。19世紀の修復作業においては、砂岩を切り刻むことにより実施された。黒の教会の名前の由来は、最初期の建築に用いられた石の色が黒色だったことから、トルコ語で黒の教会を意味する「''Kara Kilise''」から来ている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「聖タデウス修道院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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