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聖バーソロミュー病院は、ロンドン・スミスフィールドに存在する病院である。正式名称は『The Royal Hospital of St Bartholomew』(王立聖バーソロミュー病院)。また略称の『Barts』(バーツ)の名でも知られている。 設立は1123年であり、ヨーロッパで最も古い病院とされる。 現在はの一角を成している。 ==歴史== ===初期=== バーツは1123年に、ヘンリー1世の寵臣だった、によって設立された(彼は1144年に亡くなり、病院近くのに葬られている)。 ヘンリー8世の行った修道院解散は、バーツの病院経営には影響しなかったものの、収入が目減りしたことで、バーツを危機的立場に追い込むこととなる。バーツは、1546年12月に、から認可を受ける合意に調印したことで、ヘンリー8世により再設立されることになる。この内容は、1547年1月に発行され、バーツが不動産や金銭の寄付を受けると定めた専売特許証でも、再確認されている。病院は法的に、『ヘンリー8世設立・シティ・オブ・ロンドン・ウエストスミスフィールド救貧院』(House of the Poore in West Smithfield in the suburbs of the City of London of Henry VIII's Foundation)と命名されたが、この名称が一般に使われたことは無い。初代病院長は、ヘンリー8世の侍医(外科医)で、初期の解剖学者でもあったが務めている。 〔(''Old and New London'': Volume 2 (1878年), pp. 359-363)〕 この病院では、医学進歩に繋がる研究が多数行われた。例えば、17世紀に、ウィリアム・ハーヴィーは血液循環説に関する研究をバーツで行っている。また、18世紀には、パーシヴァル・ポットとによって、近代外科学の重要原理が定められた。更に、19世紀には、バーツ所属のが、看護職の発展に尽力している。〔James O. Robinson, "The Royal and Ancient Hospital of St Bartholomew (Founded 1123)," ''Journal of Medical Biography'' (1993年) 1#1 pp 23-30〕 1839年から1872年にかけてのバーツの死亡率報告書によると、この時期の死因として最も多いのは、術中の外傷と、術後の感染である。これらの外傷性の死亡を除いた場合には、結核が死因のトップとなっている。〔Thomas R. Forbes, "Mortality at St. Bartholomew's Hospital, London, 1839–72," ''Journal of the History of Medicine and Allied Sciences'' (1983年) 38#4 pp 432–449〕〔この時代には、医師の手を介して感染症が蔓延することは茶飯事であった。また、現在のように、医療器具の滅菌・使い捨てが行われていなかった。産褥熱による死者が多かったのも同様の理由である。(出典:茨木保『まんが 医学の歴史』2008年、医学書院、)〕 1948年に国民保健サービスが設立されると、バーツは正式に『聖バーソロミュー病院』の名で知られるようになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「聖バーソロミュー病院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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