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聖パトリック旗(せいパトリックき、)は、聖パトリック十字から成る旗のことである。 聖パトリック十字 (Saint Patrick's Cross) は、白地に赤いサルタイアー(斜め十字)で構成される十字であり、アイルランド、そしてアイルランドの守護聖人である聖パトリックのシンボルとみなされている。紋章学的な言い回しでは、''Argent, a saltire gules'' (アージェントにギュールズのサルタイアー)という紋章記述となる。 聖パトリック十字とアイルランドとの歴史的な面での関わりには疑問がもたれている〔Hayes-McCoy, p.38〕。この十字は聖パトリック騎士団の勲章として使われていた。この騎士団は1783年にアイルランド王国の筆頭騎士団として創設されたもので、後期には複数の機関の紋章や旗に使われていた。1801年、連合法によってアイルランドがグレートブリテン王国に加わると、このサルタイアーはユニオン・フラッグに組み込まれた。この旗はいまだに連合王国の旗として使われている。 聖パトリック旗は、アイルランドのナショナリストからはイギリスの発明したものだとして拒絶された〔。そのため統一的に認められている旗は存在しない (:en:Cross-border flag for Ireland) 〔国家的には北アイルアンド側においてはセント・パトリック旗が、共和国側ではアイルランド・トリコロール旗が使われている。宗教を含めて団体では島全体で一つの組織というのは珍しくなく、そちらでは統一された旗を使っている。〕。 == 由来 == この十字がはっきりと使われた最初期の記録は、聖パトリック騎士団のアイルランド総督ジョージ・ニュージェント=テンプル=グレンヴィル (George Nugent-Temple-Grenville, 1st Marquess of Buckingham) がロンドンの上役に宛てた1783年1月のものである。 聖パトリック騎士団は1783年に作られ、アイルランドに多くの自治権を与えた1782年法令に記された。騎士団はそのまま、アイルランド議会の政治的支援を得るための方法 (もしくはその支援に対する報酬) となっていた。 そのバッジで使われていた十字の起源ははっきりとしない。後年の多くの注釈者たちは、そのサルタイアーはフィッツジェラルド家(しくはジェラルディン)の紋章から取られたものだと、単純に仮定した〔。第2代ラインスター公ウィリアム・フィッツジェラルドはアイルランド貴族院の主要メンバーの一人であり、そして聖パトリック騎士団の創設メンバーの一人であった。 時間に追われていたテンプルに対してマイケル・カーシーは、騎士団の紋章の基礎はガーター騎士団のそれを使い、そのジョージ・クロスを45度の角度にしたものに変更するだけにしようと提案したという〔 。 〕。 しかしながら、それ以前にアイルランドの紋章として使われていた証拠があるため、それらは論拠に乏しく疑いがある。実態としては、これらはジェラルド家の紋章〔Wilson, pp.28–30〕〔Hayes-McCoy, pp.37–8〕、時にはスペインのブルゴーニュ十字として解釈されてきた。CAIN (Conflict Archive on the Internet:アイルランドの紛争や政治の情報の収集、分析などを行っている団体のデータベース) のウェブサイトにおいては「聖ジョージ十字に対応するものとして17世紀、ダブリン城において英国当局によってデザインされたのが最初である」としている。アイルランドの国章は16世紀以来、青地に銀糸を張った金のハープである〔Hayes-McCoy, pp.20,22〕。騎士団の赤いサルタイアーは、ときおり近代の注釈者において外国のシンボルであるとして非難される。それが聖パトリックと結び付けられる以前は、Xの形をしていなかったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「聖パトリック旗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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