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フランシスコ吉(フランシスコきち、〔、生年未詳 - 1597年2月5日(慶長元年12月19日)は、安土桃山時代の日本のキリシタン。豊臣秀吉による禁教令を受けて長崎で刑死し、殉教者として聖人に加えられた日本二十六聖人の一人である。 フランシスコは堅信名で、洗礼名はカフス〔『日本聖人鮮血遺書』p.68〕、あるいはガヨ。アダウトゥクス(Adauctus)と記す年代記もある。出身地から伊勢のフランシスコ〔、洗礼名と堅信名からフランシスコ・ガヨ〔(Gaius Francis)などとも記される。 == 経歴 == 伊勢国の出身〔カトリック甲子園教会ウェブサイト『聖フランシスコ吉と甲子園教会』〕。京都で大工をしていた〔。スペイン人でフランシスコ会の指導者であったペドロ・バプチスタ神父より受洗〔。受洗したのは、殉教から9か月前であった〔〔後述の枝川でバプチスタ神父と再会した時点で「受洗から8ヶ月」と記されている。キリシタン一行は大坂から長崎での処刑まで1ヶ月弱を要したため、殉教時点では「9ヶ月前」となる。〕。伊勢国に未信者の妻がいた(吉は単身赴任)。捕縛されたパブチスタ以下24名が長崎に向かうのに同行し、その道中で捕縛された。 エメ・ヴィリヨンの『日本聖人鮮血遺書』によると、秀吉の命により死刑に処されることになった24人が京都から長崎まで連行される途上、枝川の橋の西詰めの榎の大木がある茶店(現在の兵庫県西宮市甲子園五番町付近)で休息していた。その時に、吉は紺色の木綿の綿入れに脚絆という姿で駆けつけ、自ら囚人として刑死することを進み出て、捕縛されたという〔『日本聖人鮮血遺書』p.67〕。その後、西宮でペトロ助四郎が一行に加わり、一行は26人(日本二十六聖人)となる。 長崎・西坂の刑場で吉の十字架は一番目であった。処刑されることが決まると歓喜して準備し、神父の一人に告解して伊勢国にいる妻を信者にするようにと願った。十字架上でイエス・キリストと聖母マリアの名を唱えながら、槍で脇腹を刺突されて殉教した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フランシスコ吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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