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聖マラキ(St.Malachy, 1094年頃 - 1148年11月2日) は、アーマー(現北アイルランド領)に生まれたカトリック聖職者であり、死後列聖された。本名はメル・メドック・ウア・モルガイル〔アットウォーター&ジョン (1998) pp.384-385〕で、英語式にはマラキ・オモーゲーア (Malachy O’Morgair)〔上智大学 (1954) pp.882-883〕である。聖人としての名は聖マラキアス (St. Malachias) とも表記される〔。いわゆる聖マラキの予言で知られるが、本人との関連を裏付ける史料は見つかっていない。 == 生涯 == 1094年または1095年にアーマーに生まれ、その地の隠修士から神学的教育を受けた時期もあったという〔。1119年に司祭に叙階され、まもなくアイルランドにローマ式典礼を導入すべく教義改革に尽力した。1123年にはバンガーの修道院の再興を目的として修道院長に任命されたが、翌年にはすぐにコナーの司教に任命された〔〔。更に、1129年にはアーマー大司教だった聖ケラクから後継者に任命されたが、代々世襲とされてきた地位の保全を主張するその家族たちからの強い反発があり〔、生命を脅かされることさえ経験した〔。ようやく1134年に正式にアーマー大司教となったが、1136年に後継者を指名し〔、自らは1137年にデリーの修道院長となった〔。 ローマ教皇インノケンティウス2世から教皇特使に任命され、クレルヴォーのベルナルドゥスとも親交を深めた。この交流がきっかけとなり、1142年にマラキはアイルランド初のシトー会修道院をラウスに創設した〔。1148年にローマを目指した旅の途中、11月2日に病が原因でクレルヴォーにて死去した。その最期をベルナルドゥスが看取ったという〔。 1190年7月6日に列聖された。記念日は11月3日である〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「聖マラキ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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