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聖絶(せいぜつ)とは、聖書信仰の立場によって訳された『新改訳聖書』において造られたヘブライ語のヘーレム(、''ḥērem'')の訳語(造語)である。一般的な用途に用いることを禁じ、神のために聖別すること、ささげられたもの、奉献物、のろわれたものを意味している〔尾山『出エジプト』p.303〕〔『新聖書辞典』〕。レビ記、申命記、ヨシュア記、サムエル記上巻などに多く見られる聖句である〔泉田昭他編『新聖書辞典』いのちのことば社、1996年 ISBN 4264007062〕。 キリスト教神学においては、旧約と新約の経綸で説明され、イエス・キリストによる救いと神の愛が聖絶によって示されている。ユダヤ教などキリストを否定する宗教はこの解釈をとらない。また、批評的聖書学者からは、新改訳はキリスト教護教的な訳であるとして、批判されている〔田川建三『書物としての新約聖書』勁草書房、青野太潮『どう読むか、聖書』朝日選書〕。 ==概要== ヘーレムの語根は「別にしておく」とか「俗用に供することを禁じる」ことを意味しており、この語はヘブライ語聖書(旧約聖書)で神への奉納・奉献・聖別を表すためにも用いられている〔〔X・レオン・デュフ-ル編『聖書思想事典(旧版)』及び訳注、三省堂、1973年〕。 畑や家畜などを聖絶として神に捧げた場合は、それを売ることも買いもどすこともできないものとして完全に神に捧げ尽くさなければならず(レビ27:28)、そのようにして捧げられたものは祭司のものとなった(レビ記27:21、民数記18:14)。ただ、その捧げ物が人間であった場合は必ず殺されなければならなかった(レビ記27:29)。 一方、イスラエルに敵対する異民族に対して聖絶が用いられる時は、「神への奉納物として、異教の神を拝むものとそれに関連する事物をことごとく滅ぼし尽くす」こと、全ての戦利品を滅却することを意味した〔。すなわち、聖絶の対象とされた敵対異民族は全員が剣で殺され、また家畜も含め生けるものは全て殺戮された。また、通常の戦闘では許される女子どもの捕虜も、また家畜などの戦利品も、聖絶においては自分たちの所有物とすることは許されず、全てが神への捧げ物とされなければならなかった。さらに、それ以外の剣でもって滅ぼせないものは火をもって焼き尽くされ、また、燃やすことの出来ない金銀財宝などは神殿の奉納倉へ納めて、「呪われた汚らわしきもの」として民衆の手からは隔離されなければならなかった。そして、聖絶のものを私物した者は、神の怒りに触れるものとして、罰として処刑された。聖書はその理由として、イスラエルに聖なる生き方をさせて、彼らが先住民の宗教からの誘惑に負けて神に対して罪を犯さないためであるとする(申命記7:1-6、20:16-18)〔〔。 ただ、聖絶は必ずしも異民族にだけ行われたわけではなく、ヤハウェ以外の神を礼拝したような場合にはイスラエル民族そのものにも向けられたし(出22:20、申7:26、ヨシュア6:18)、さらに、イスラエルの民自身が神によって聖絶されることが預言されたこともある(エレミヤ25:9)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「聖絶」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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