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『聖職の碑』(せいしょくのいしぶみ)は、中央アルプスの木曽駒ヶ岳における山岳遭難事故(木曽駒ヶ岳大量遭難事故)を題材とした新田次郎の山岳小説および、それを原作とした鶴田浩二主演の映画。 1913年(大正2年)8月26日に長野県中箕輪高等小学校(現・同県上伊那郡箕輪町立箕輪中学校)の集団宿泊的行事として実施された木曽駒ヶ岳集団登山における気象遭難事故の実話に基づき極限状態での師弟愛を描き、「生きること」「愛すること」の意味を問いかけた。 == あらすじ == 大正時代、中箕輪高等小学校では白樺派教員とそれに反対する教員や村の助役、郡の視学との対立が始まりつつあった。このような中、校長の赤羽長重は毅然とした態度で教師たちをまとめ、実践主義的な教育を行っていた。 大正2年8月26日、赤羽は集団宿泊的行事として前々年より定着しつつあった木曽駒ヶ岳登山に、生徒25名、地元の青年会員9名、引率教師2名と共に総勢37名で登山に出発した。 計画は綿密に練られ、前年までの経験を基にした詳細な計画書が全員に配布され、また、地元の飯田測候所にも逐一最新の気象状況を照会するなど、当時考えられる対策はほぼ全て取られていた。ただ、町の予算により運営されているため、前年まで付けていた地元のガイドを雇うことはできなかった。 一行は、すぐれない天候の中ではあったが、山頂にある伊那小屋で1泊する計画であったため、予定通りの山行を決行した。稜線に出る頃には、暴風雨になったが、何とか伊那小屋にたどり着くことができた。 実は、当時の観測技術では判明しなかったが、小笠原海上で発達した台風が猛烈なスピードで、同時刻に東日本を通過中であった。 しかも、頼みの綱の小屋は半壊状態であった上に、心無い登山者によって失火の上、石垣のみの無残な姿に変わってしまっていた。赤羽は、周辺のハイマツ等を手分けしてかき集め、全員の雨合羽も利用して仮小屋を設営し、ビバークを試みた。 しかし、漏水のため火を焚くことができず、体力を失っていた生徒が疲労凍死(低体温症)するに及んで一行はパニックに陥った。 有志として参加していた青年会員の若者が、赤羽ら引率教師の指示に従わず、散り散りになって無謀な下山を開始した。当然、屋根代わりの雨合羽を失うと、仮小屋はその機能を果たせず、生徒たちも危険な下山の道をバラバラに取り始めた。 赤羽ら教師は、体力のない生徒や、雨合羽を吹き飛ばされて装備の十分でない生徒をかばいながら、やむなく下山の途に出ざるを得ない危地に陥った。 結果的に、樹林帯にたどり着けた者は生存し、稜線上で力尽きた者の多くが生命を落とした。その中には、生徒に防寒シャツを与えて救おうとした赤羽校長の姿もあった。総計11名の尊い命が失われる大遭難事故となってしまった。 上伊那郡教育会は、稜線上の遭難現場に「遭難記念碑」を設置し、「記念」の言葉の中に、決して事故のことを忘れ得ないようにという思いを込めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「聖職の碑」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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