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聖護院宮嘉言親王 : ミニ英和和英辞書
聖護院宮嘉言親王[しょうごいんのみや よしことしんのう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひじり, せい]
  1. (pref) saint 2. st.
嘉言 : [かげん]
 (n) wise saying
: [げん]
 【名詞】 1. word 2. remark 3. statement 
親王 : [しんのう]
 【名詞】 1. prince of royal blood 2. Imperial prince
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

聖護院宮嘉言親王 : ウィキペディア日本語版
聖護院宮嘉言親王[しょうごいんのみや よしことしんのう]
聖護院宮嘉言親王(しょうごいんのみや よしことしんのう)、文政4年1月26日1821年2月28日) - 慶応4年8月11日1868年9月26日))は、江戸時代末期、明治時代の日本皇族伏見宮邦家親王の第2王子。母は上野寿野、幼称は多嘉宮 (たよしのみや)。
天保2年(1831年)に聖護院に出家し、雄仁入道親王と称した。同年、光格天皇猶子となり、天保3年(1832年)に親王宣下を受け、嘉言(よしこと)と命名される。同年、京都山科の門跡寺院曼殊院に入室した。
慶応4年(1868年明治維新に際し、聖護院宮(しょうごいんのみや)を称し、還俗し、再び嘉言親王を称する。園城寺長吏を止められる。その後聖護院宮を譲る。一品に昇叙され、内国事務科内国事務総督となるが、同年のうちに死去。47歳。智成親王が聖護院宮を相続した。
== 血縁 ==

* 父母:伏見宮邦家親王 - 妃鷹司景子 - (実母)女房藤木寿子
* 兄弟:晃親王 - 嘉言親王 - 譲仁親王 - 朝彦親王 - 男子 - 貞教親王 - 男子 - 彰仁親王 - 能久親王 - 男子 - 男子 - 博経親王 - 智成親王 - 貞愛親王 - 清棲家教 - 載仁親王 - 依仁親王(女子省略)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「聖護院宮嘉言親王」の詳細全文を読む




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