|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 雲 : [くも] cloud ・ 雲台 : [うんだい] (n) (camera) platform ・ 台 : [だい] 1. (n,n-suf) (1) stand 2. rack 3. table 4. (2) support 5. (3) belt 6. (4) counter for machines, incl. vehicles
聶 雲台(じょう うんだい)は、中華民国・中華人民共和国の実業家・教育者。恒豊紡績工廠など紡績工場の経営者として名高く、上海共同租界の名士として、また職業教育の推進者としても活躍した。名は其杰だが、近年はむしろ字の雲台で知られる。祖籍は湖南省衡陽府衡山県。 == 事績 == === 実業家としての台頭 === 1893年(光緒19年)、童試を受験し、秀才となった。しかし後に新学に転じ、外国人から英語・電気・化学などを学んでいる。1904年(光緒30年)、復泰公司で経理となり、1908年(光緒34年)に復泰公司が華新紡績新局を買収し、これを恒豊紡績新局と改名すると、聶雲台がその総理となった。 中華民国建国後の1917年(民国6年)、聶雲台は黄炎培と共に上海で中華職業教育社の結成に参加し、聶は臨時幹事となった。第一次世界大戦終結後、聶は恒豊紡績新局の施設拡充に乗り出し、新型の紡績機を導入して生産規模を拡大し、工場を増築している。その後、上海共同租界工部局で中国側の顧問・教育委員を歴任した他、復旦大学校董や中華文化教育基金会董事など教育界での活動に積極的に参与している。 1920年(民国9年)5月、聶雲台は永利鹸廠董事となり、同年には上海に職業学校を創設した。さらに、上海総商会会長や全国紗廠聯合会副会長にも当選している。これ以後も積極的な事業展開に乗り出し、王正廷らと華豊紡績公司、張謇らと中国鉄鋼廠、孔祥煕・陳光甫らと中美貿易公司などの企業を次々と創立し、いずれでも幹部を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「聶雲台」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|