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空海(くうかい、宝亀5年(774年) - 承和2年3月21日(835年4月22日))は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。俗名(幼名)は佐伯 眞魚(さえき の まお〔金剛峯寺公式サイト 〕)。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。 == 生涯 == === 佐伯真魚 === 宝亀5年(774年)、讃岐国多度郡屏風浦(現:香川県善通寺市)で生まれた。父は郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は阿刀大足の娘(あるいは妹)〔『続日本後紀』承和3年(836年)2月紀による。〕〔母の名は「玉依御前」「阿古屋御前」などと称されるが、正確なところは不明である。〕、幼名は真魚。真言宗の伝承では空海の誕生日を6月15日とするが、これは中国密教の大成者である不空三蔵の入滅の日であり、空海が不空の生まれ変わりとする伝承によるもので、正確な誕生日は不明である〔空海の出生月日が6月15日であることを裏付ける史料はなく、後世の付会であることは、多くの空海関係書で言及されている。たとえば以下の文献を参照。 *上山春平『空海』、朝日新聞社(朝日選書)、1992、p.49 *竹内信夫『空海入門』、筑摩書房(ちくま新書)、1997、p.79〕〔空海の誕生日を「6月15日」とするのは、頼瑜(1304年没)の『真俗雑記』が初見である。(佐藤良盛『わが家の宗教 真言宗』、大法輪閣、1988、p.38、による。)〕。 延暦7年(788年)、平城京に上る。上京後は、中央佐伯氏の佐伯今毛人が建てた氏寺の佐伯院に滞在した。(真魚は讃岐佐伯氏)〔007平城京の寄宿先「佐伯院」 エンサイクロメディア空海〕 延暦8年(789年)、15歳で桓武天皇の皇子伊予親王の家庭教師であった母方の舅である阿刀大足について論語、孝経、史伝、文章などを学んだ。 延暦11年(792年)、18歳で京の大学寮に入った。大学での専攻は明経道で、春秋左氏伝、毛詩、尚書などを学んだと伝えられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「空海」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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