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肝付 兼太(きもつき かねた、1935年11月15日 - )は、日本の声優、俳優、演出家。本名は肝付 兼正(きもつき かねまさ)。81プロデュース所属。劇団21世紀FOX主宰。 == 人物像 == === 経歴 === 肝付氏の末裔〔〔NHK 鹿児島放送局 アナウンサー・キャスターだより 大石 真弘 2012年3月26日 2014年1月19日閲覧〕。1935年11月15日〔に鹿児島県鹿児島市喜入町〔で生まれたが、3歳の時に鹿児島を離れ東京で育った〔。戦時中は山梨に疎開した〔WEBアニメスタイル_特別企画 あの声、あのキャラ、あの作品 肝付兼太と『ギャートルズ』(3) 2014年1月19日閲覧〕。終戦後中学へ進学するにあたり、私立中学を受験したが失敗〔肝付兼太の声優道 | 先輩から学ぼう! | 声優グランプリweb 1 2014年1月19日閲覧〕。その当時、役者の仕事は映画かラジオ番組が主だった中で気を紛らわすためにラジオドラマを聞いており、NHKの『話の泉』という番組の公開録画を見に行った折「この場所で仕事が出来たら…」と思ったのがきっかけで映画俳優を志す〔the 業界塾 第一回「声優 肝付 兼太」(なぜ声優を目指したのか) 2014年1月19日閲覧〕。憧れていた俳優は榎本健一〔やじさんの番組案内 劇団21世紀FOX主宰 肝付 兼太 さん 2014年1月19日閲覧〕。しかし、祖母から「映画俳優をやれる容姿ではない」と諭され、顔出しよりもラジオドラマで声のみで出演する「声優」の仕事を目指すようになる〔。帝京高校在学時に自ら演劇部を設立〔声優になる!マガジン vol.70 2014年1月19日閲覧〕。その演劇部で木下順二の『夕鶴』を上演したのがきっかけで芝居の道へ進む〔。高校卒業後は父親の他界により大学進学を断念した。ラジオ東京(現TBS)放送劇団の第4期生の募集に応募するが落選し、高島屋に勤務〔しながら劇団七曜会に入団した〔 声優になる!マガジン vol.71 2014年1月19日閲覧〕。当時、七曜会がNHKの仕事に積極的に取り組んでいたため、それが縁で肝付もNHKのラジオドラマに出演するようになり〔WEBアニメスタイル_特別企画 あの声、あのキャラ、あの作品 肝付兼太と『ギャートルズ』(1) 2014年1月19日閲覧〕〔声優になる!マガジン vol.73 2014年1月19日閲覧〕、役者として食べていくという自分の気持ちを確固たるものにするため高島屋は退社した。しかし、声優としてデビューした後もしばらくは食っていけなかったため、旅行会社の添乗員や靴磨き、歯科医などでアルバイトをしていた経験もある〔。七曜会が解散した後は、青野武と共に日生劇場のこけら落とし公演のオーディションを受け合格し、これに出演〔。七曜会から分裂した劇団作品座の所属を経て〔声優になる!マガジン vol.72 2014年1月19日閲覧〕、TBS放送劇団出身の千葉耕市がプロダクションを建てるために役者集めをしていたところに誘われ、そのプロダクションに所属した〔。所属プロダクションはその後、青二プロダクション〔、ぷろだくしょんバオバブ〔バオバブ設立年発売、所属者ユニット・バオバブシンガーズのLP『めざせモスクワ』にクレジット〕、自身が主宰する21世紀FOXと変遷。2016年2月2日付けで81プロデュース所属となった。 映画デビューは1956年公開の『こぶしの花の咲くころ』(家城巳代治監督)であり〔〔、当時はまだ劇団の研究生で本名の「肝付兼正」として床屋の青年役で出演した。これ以外に1966年のポルノ作品である『汚辱の女』にも出演しているが、実写映画作品の顔出しの役者としての出演経験はこの2本のみ〔。 ラジオドラマデビューは主婦向けの昼の番組『婦人の時間』(NHK)で、クリーニング屋の御用聞きの役。台詞は二言だけだったが、当時は全てが生放送だったこともあり、その時の緊張感と二言の台詞はいまだに忘れないという〔。 アフレコデビューは海外ドラマ『地方検事』(TBS)での暴走族の役〔肝付兼太の声優道 | 先輩から学ぼう! | 声優グランプリweb 2 2014年1月19日閲覧〕。 国産のアニメが登場してからは『0戦はやと』、『ビッグX』、『エイトマン』等に端役で出演するようになるが、1965年の30歳直前にマネージャーが藤子作品のキャスティングを担当することもあり、TBS版の『オバケのQ太郎』のゴジラ役でアニメのレギュラーを獲得。当初は「スタジオの外だと面白いのに、中だとつまらない」とマネージャーから言われていた。そんな折、第4話収録時に開き直ってアドリブを入れまくったところ、見学に来ていた藤子不二雄が手を叩いて喜び気に入られた。これ以降、藤子不二雄作品には原作者指名で役を貰い、必ずと言っていいほど出演するようになった〔〔。藤子作品で出演していない作品は『ウメ星デンカ』、『チンプイ』、『モジャ公』ぐらい〔。『ジャングル黒べえ』では初主役〔7 the 業界塾 第一回「声優 肝付 兼太」(印象に残るキャラクターについて) 2014年1月19日閲覧〕となる黒べえ役を演じ、テレビ朝日版の『ドラえもん』では骨川スネ夫役を1979年の放送開始以来26年間に亘って担当。日本テレビ版の『ドラえもん』ではジャイアン役を担当していた。 1980年代の小劇場ブームの時に、北村想の作品『寿歌』と出会い衝撃を受ける。自身も演劇をやりたいと強く思い、紀伊國屋で北村の『十一人の少年』の台本を見つけ「この戯曲の上演をしたい」と考え許可を取り、当時講師をしていた養成所の若者を集め、1983年9月に劇団21世紀FOXを結成した〔声優になる!マガジン vol.74 2014年1月19日閲覧〕。結成当時のメンバーに宮下タケル、松尾まつお、速見圭、西原久美子らがおり、すぐ後に山口勝平が入団する。劇団では演出、構成を手がけるだけでなく、若手俳優の育成指導にもあたっている。2008年には劇団が結成25周年を迎え、同年12月にはかつて劇団に所属していた伊藤健太郎らを招いて25周年記念公演を開いた〔劇団21世紀FOX 稽古場便り 初冬のミステリー 2014年1月19日閲覧〕。 1985年11月から12月にかけて喉の手術のため入院(1980年頃から多くのアニメ作品にキャラクターの声で出演していたため)。そのため『ドラえもん』(テレビ朝日版)のスネ夫、『オバケのQ太郎』(テレビ朝日版)のハカセ役は『Q太郎』で木佐キザオ役で共演していた龍田直樹が代役を務め、『にこにこぷん』ではじゃじゃ丸が風邪を引いたという設定で2週間しゃべらずに乗り切った。手術の際、自分の声が綺麗になってしまうことを恐れ、ポリープをピンセットでつぶしたとのこと〔「お願い!ランキング」( 2012年3月13日)の番組概要ページ - TVトピック検索 2014年1月19日閲覧〕。 2004年にニトロプラスから発売されたドラマCD『鬼哭街』では「ディレクション」(演出)としてクレジットされている(出演はしていない)。 2005年、第14回日本映画批評家大賞で、大山のぶ代ら『ドラえもん』(テレビ朝日版)のオリジナルレギュラー陣4人とともに田山力哉賞を受賞〔過去の受賞作品 | 日本映画批評家大賞 公式サイト 2014年1月19日閲覧〕。さらに2006年11月、第11回アニメーション神戸で、同じくオリジナルレギュラー陣4人とともに特別賞を受賞〔アニメーション神戸 | ヒストリー(2)第11回 - 第17回 2014年1月19日閲覧〕。2007年3月には東京国際アニメフェア2007で、同じくオリジナルレギュラー陣4人とともに第3回功労賞を受賞〔東京国際アニメフェアで功労賞発表 (3/24) | アニメ!アニメ! 2014年1月19日閲覧〕。2012年、第六回声優アワード「功労賞」を受賞。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「肝付兼太」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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