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肝付 兼柄(きもつき かねえだ、寛文5年(1665年) - 享保3年3月17日(1718年4月17日))は、薩摩藩(鹿児島藩)家臣、第5代喜入肝付家当主。 父は肝付久兼。母は島津久頼の娘。正室は島津光久の娘。子は肝付兼逵。通称は伴三郎、左門、帯刀、典膳、主殿。 == 略歴 == 寛文5年(1665年)、肝付久兼の子として生まれる。延宝3年(1675年)、藩主島津光久の面前で元服する。天和3年(1683年)、藩主光久の娘と結婚する。貞享2年(1685年)、大目付となる。宝永4年(1707年)、父の隠居により家督相続する。同年、国分地頭職。 宝永6年(1709年)、藩主吉貴より家老職を拝命する。正徳2年(1712年)、一所持ちに列する。正徳4年(1714年)、藩主吉高の参勤に従って江戸に下向する琉球尚敬王の将軍就任慶賀使を監督する。共に江戸城に登城し、将軍家継に拝謁する。享保2年(1717年)、幕府の巡見使を領内に迎える。 享保3年(1718年)3月17日没。享年54。家督は嫡男の兼逵が相続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「肝付兼柄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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