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肥前尾崎焼(ひぜんおざきやき)は佐賀県神埼市で焼かれている陶器である。 九州でも有数の古窯で、伝承によると弘安の役の際に捕虜とした渡来人に製陶の技法を学び、焼いたのが尾崎焼のルーツであると言われるが他にも諸説がある。安土桃山時代には長右衛門右京という陶工が作った茶器を豊臣秀吉に献上したところ、大変激賞し右京に御朱印を賜ったと伝えられる。江戸末期には生活雑器を焼いており、規模は小さいながらもそれなりに繁栄した。だがその頃の尾崎焼は非常に脆いものであったため、現存する物は極めて少ない。 昭和初期には火鉢や七輪、植木鉢、焙烙などを焼いていたが、その頃には既に5軒しか残っていなかった。戦後にはほとんどの火が絶え、平成17年現在では日の隈窯一軒のみが残っているが、当時の尾崎焼とは全く異なる焼き物である。現在の尾崎焼は地元産の土、釉薬、絵具を使い、白土を碾いて土に混ぜ、それに和紙染めという手法を用いて絵付けを行うものである。モチーフは近くの草花で、それを丁寧に写し取った物を意匠に凝らす。その作品は非常に温かみがあり、気品が漂う一品である。 ==尾崎人形== 尾崎焼のもう一つの特徴として伝統的な土人形制作がある。この人形の歴史は古く、弘安の役で捕虜となったモンゴル兵が地元の人に病気を手厚く看護してもらったお礼に教えたものであると伝えられている。その後表に出ることなく脈々と技法が受け継がれてきたが、人形師であった伊東征隆が福岡の柳川に転居したため、地元佐賀県では廃絶した。だが平成2年に八谷至大が「尾崎焼保存会」を結成し、技術の継承に努めている。この尾崎焼は福岡の赤坂人形の流れを汲む。また、赤坂人形と同様に鳩笛が有名で、鳴き声から「テテップー」という愛称がある。他には軍配持ち、堂内天神、饅頭割小僧などのユニークなモチーフがある。 category:日本の陶芸 category:佐賀県の歴史 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「肥前尾崎焼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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