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肥田浜五郎 : ミニ英和和英辞書
肥田浜五郎[ひだ はまごろう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こえ]
 【名詞】 1. manure 2. night soil 3. dung 4. fertiliser 5. fertilizer 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [はま]
 【名詞】 1. beach 2. seashore 
: [ご]
  1. (num) five 

肥田浜五郎 : ウィキペディア日本語版
肥田浜五郎[ひだ はまごろう]

肥田 浜五郎ひだ はまごろう文政13年(1830年)1月 - 明治22年(1889年4月28日〔『官報』第1747号、「彙報 - 故肥田宮内省御料局長官履歴」1889年4月30日。〕)は、豆州肥田氏の末裔で幕末期の幕臣技術者、明治期の官僚長崎海軍伝習所第二期生。は為良(ためよし)。
== 生涯 ==

=== 維新前 ===
韮山代官江川英龍の手代見習として、伊東玄朴に蘭学を学び、長崎海軍伝習所で機関学を修めた。1859年安政6年)に軍艦操練所教授方出役となる。1860年万延元年)、咸臨丸蒸気方(機関長)に選ばれ、山本金次郎(副長)、岡田井蔵小杉雅之進(機関方見習士官)を率い、太平洋往還を成功に導いた。病気の勝海舟に代わり、肥田と小野友五郎(測量方)、浜口興右衛門(運用方)が操船の指揮をしていたという。
帰国後、1861年文久元年)、軍艦操練所頭取手伝出役を経て、軍艦頭取出役となる。1862年(文久2年)、幕府軍艦としては最初となる蒸気軍艦千代田形の蒸気機関を設計。1863年(文久3年)、小十人格軍艦頭取、海路上洛する徳川家茂の御座舟翔鶴丸艦長〔『回想の日本海軍』p248〕を務めた。1864年元治元年)、両番格軍艦頭取となる。
1865年慶応元年)、横須賀造船所の工作機械を購入のため、オランダに派遣された。帰途、レオンス・ヴェルニーと会見している。1866年(慶応2年)軍艦役、1868年(慶応4年)、軍艦頭に昇進、富士山丸艦長を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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