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肥筑軌道(ひちくきどう)は、かつて佐賀県佐賀郡巨瀬村高尾(現・佐賀市巨瀬町大字高尾)と神埼郡千歳村崎村(現・神埼市千代田町崎村)の間を結んでいた軽便鉄道の路線、およびその運営会社である。 == 概要 == 1916年(大正5年)10月24日、真崎照郷らにより佐賀市の国鉄佐賀駅を起点に高尾 - 蓮池 - 江見 - 豆津と結んで久留米に至る計画で、神戸の鈴木商店の後援〔「大正初期九州における私有鉄道」25頁〕により肥筑軌道株式会社が佐賀市内に創立された。 これに先立ち1914年(大正3年)6月、三養基郡北茂安村大字江口(筑後川を挟んだ久留米市の対岸) - 佐賀郡神野村大字神野(佐賀駅付近)間12.2哩の軌道敷設の特許が下付された。さらに1917年(大正6年)10月、筑後川を渡り久留米市街地に乗り入れ筑後軌道と連絡するため、起点の江口から福岡県三潴郡までの延長線の特許も下付された。ただ佐賀駅側には急速な市街地化により用地取得が困難になっていたことや、延長区間の建設費59,000円うち橋梁費が44,000円をしめていた筑後川架橋の問題をかかえていた〔1917年(大正6年)当時の分析では佐賀と久留米を結べば国鉄線に比べ時間運賃の面で経済効果が見られ相応の営業を上げるであろうと予測している。「大正初期九州における私有鉄道」25頁〕。 1923年(大正12年)5月24日には高尾 - 崎村間が部分開業したが、久留米市街地への延長線は1922年(大正11年)11月失効しており、株主間の意見の相違や第一次世界大戦後の不況により計画は頓挫した。そのため、一部工事が行われた崎村の先は未成線となっている。国鉄路線に接続しない孤立路線の上、沿線のほとんどが田園地帯であり収益は上がらず、1934年(昭和9年)には運行を休止し、1935年(昭和10年)に廃止された。なお乗合自動車も営業し1934年時点で3路線保有していた〔『全国乗合自動車総覧』1934 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「肥筑軌道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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