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胡口 和雄(こぐち かずお、1948年10月17日 - )はニッポン放送スポーツ部に所属していたアナウンサーで現在はフリー。東京都江戸川区出身〔別冊ラジオパラダイス「DJ名鑑」(1987年刊)p.219〕。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。1972年入社〔。 ==来歴・人物== アナウンサーを目指すようになったきっかけは、幼稚園児の頃に観た『新諸国物語』(東映映画)で泉田行夫のナレーションに魅了されたことで、その後もNHKアナウンサーの志村正順に感動〔。大学では放送研究会に入っていた〔。 早稲田大学出身者としてはニッポン放送アナウンサーの松本秀夫、垣花正の先輩でもある。1995年頃から読売ジャイアンツ担当であることから、巨人戦担当日が予備中継カードとならない限り、本放送に出演することが多かった。 1973年の日拓ホームフライヤーズVS太平洋クラブライオンズ戦(後楽園球場)で実況デビュー。 主にプロ野球中継を担当し、セ・リーグ開幕戦、セ・リーグ優勝決定ゲーム、日本シリーズ第1戦など、重要な試合を担当していた。 「バックスクリーン3連発」の試合の実況を担当していたが、実はこの時は体調が喉も含めて最悪の状態であったという。 和田アキ子とはナイターオフの番組で共演して以来仲がよく、昔「アッコちゃん」と呼んで周囲を驚かせた経験がある。 胡口和雄のパーティーには松井秀喜、長嶋茂雄、原辰徳、高橋由伸などが出席した過去があり、長嶋茂雄はこのパーティーを最後に倒れてしまったということである。 実況中継を担当する試合は長時間に達するものが多く、「ミスターロングゲーム」と呼ばれることもある。記録的な試合時間の実況中継の多くを担当しており、日本のプロ野球だけではなく、ニューヨークヤンキース戦でも長時間中継を余儀なくされた(雨天による試合中断のため)。 体調不良でガリガリに痩せ、2007年10月1日で「松井秀喜 ワールドチャンピオンへの道」のレポーター担当を急遽降板した。後任は後輩の師岡正雄が担当した。 競馬中継にも長く係わっており、日曜日に放送している日曜競馬ニッポンの実況も担当。だが2008年は「ショウアップナイター」プレイボールの土日担当になっていたため、シーズンが終了するまで競馬実況が担当できなかった。 2008年秋をもってニッポン放送を定年退職した。送別会は2008年11月20日に行われたという(その日放送の松本ひでおのショウアップナイターGO!GO!より)。定年後はニッポン放送系列のエル・ファクトリーに移籍してアナウンス部長に就任、引き続きフリーアナウンサーとして、ショウアップナイターにて野球実況を、日曜競馬ニッポンにて競馬実況を担当している。このため、ニッポン放送退社後の現在でも同社アナウンサーの扱いとなっており(先に退社した宮田統樹や山田透も同様)、同社のアナウンサープロフィールも2016年の公式サイト改変まで残っていた。 また、2010年よりニッポン放送が主催し、エル・ファクトリーが運営する「プロフェッショナル・アナウンスセミナー」の校長を務めている。 2010年8月28日の広島東洋カープVS読売ジャイアンツ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)の実況中継中、体調不良により途中降板。胡口は4回までを実況し、その後はベンチリポーターとして待機していた松本秀夫に交代。胡口はそのまま広島市内の病院で検査を受け、軽度の熱中症と診断された〔実況中継のニッポン放送・胡口アナが熱中症で途中降板 - おおさか報知、2010年8月29日〕〔翌日8月29日はベンチリポーターとして復帰した。(29日の実況は松本秀夫)〕。 30代の頃は、旅行、カラオケ、スキーが趣味で、スポーツには何でもトライするという意欲旺盛な面があった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「胡口和雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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