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胡嗣エン[こ しえん]
胡 嗣瑗(こ しえん、)は清末、中華民国、満州国の政治家。字は琴初、晴初。 == 事績 == 1903年(光緒29年)、癸卯科進士となり、翰林院編修に任ぜられた。後に公立天津北洋法政学堂総弁となっている〔徐主編(2007)、997頁。〕。辛亥革命勃発直後に江蘇省で道尹に任ぜられ、後に江蘇督軍馮国璋の下で督軍公署秘書長となった。1917年(民国6年)の張勲復辟に際して張勲に加担し、内閣左丞に任命される。復辟失敗後は罷免され、杭州西湖湖畔に隠棲した〔。 1924年(民国13年)の北京政変(首都革命)により愛新覚羅溥儀が天津に移されると、胡嗣瑗は清室駐天津弁事処顧問に任ぜられた〔。満州国建国の活動にも参画し〔〔、正式に建国された1932年(大同元年)3月9日に執政府秘書長に任命されている〔郭主編(1990)、1750頁。〕。満州帝国へ改組される直前の1934年(康徳元年)2月28日、参議府参議に転じ、1939年(康徳6年)4月24日まで在任した〔郭主編(1990)、1768頁。〕。満州国滅亡後の1949年に死去。享年81。
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