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胡才 : ウィキペディア日本語版
胡才[こ さい]

胡 才(こ さい、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。

== 正史の事跡 ==

最初は、李楽韓暹と共に河東白波軍(白波賊)の指揮官(頭目)であった。なお、配下の楊奉も、元は白波軍の同僚である。
興平2年(195年)、 李・郭汜の乱の影響で、献帝長安を脱出して洛陽に向かった際、董承・楊奉は白波軍を護衛として招請した。胡才も、李楽・韓暹と共にこれに応じ、李・郭汜の追撃から献帝を護衛した。洛陽への途上で、献帝が安邑を仮の都と定めた際には、胡才は将軍に任命されている(『後漢書董卓列伝によれば征東将軍、『三国志』董卓伝によれば征西将軍。後者によると、韓暹が征東将軍に任命されている)。建安元年(196年)7月、献帝は洛陽に入城した。
しかし献帝の洛陽入城後に、胡才は李楽と共に河東へ引き返した。河東に引き返した後、胡才は怨恨が元で殺害された。
小説『三国志演義』でも史実同様に、胡才は楊奉の招請に応じて献帝を護衛している。しかし、洛陽へ向かう途中に李・郭汜の追撃を受け、戦死してしまっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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