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胡 文虎(こ ぶんこ)は中華民国・香港・東南アジアの実業家・政治家。父業である薬局「永安堂」を継いでタイガーバームを開発、店舗・工場を東南アジア・中華圏の各地に展開した。豊富な財力により出版業や銀行業にも事業の多角化を進め、新聞業ではシンガポールの『』や香港の『』など各地の新聞を主宰。1930年に南京入りして国民政府に参加、僑務委員会委員等を務めた。 == 事跡 == === 医薬事業 === 胡文虎の父・胡子欽は、19世紀末に中国・福建省汀州府永定県からミャンマーへ移住し、ヤンゴンで「永安堂」という屋号の薬局を開いた。 胡文虎は1882年に生まれ、幼少期に父の故郷・福建省永定に帰って伝統文化教育を受けた。弟の文豹は1888年に生まれ、英国植民地だったヤンゴンで英国式の教育を受けた。他に兄・文龍がいたが、早逝した。 1908年に父・子欽が病逝すると、弟の文豹が父業を継ぎ、胡文虎にヤンゴンへ戻り「永安堂」を共同経営することを要請。。 胡文虎は、西洋医学の理論と東洋医学の治療方法を組み合わせ、漢方・西洋双方の薬剤師など多くの専門家を擁して新薬の開発に取り組み、軟膏「万金油」や「八卦丹」等を開発した。中でも、万金油の改良を重ね、胡の名前にちなんで商標登録した軟膏タイガーバーム(虎標万金油)は、その薬効から、どの薬局にも常備されるほど評判となり、多大な利益をもたらした。「永安堂」は次第に事業を拡大し、1920年に胡文虎は40歳足らずでヤンゴンの華僑の長者番付1位となった。 ミャンマーで成功した胡文虎はマレー半島の各都市やシンガポールへと「永安堂」の店舗網を広げ、〔には、1926年に永安堂本店をシンガポールに移し、あわせてにヤンゴンの工場の10倍の生産能力を持つ大型の新工場を開設した、とある〕。 1937年頃には、永安堂はマラヤ、香港、インドネシアのバタビアおよび中国・タイの各都市に工場と販売網を確立し、胡文虎の富と名声は世の中に広く知られるようになっていた。胡文虎は精力的に事業の多角化を進め、出版業や銀行業にも業務領域を広げた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「胡文虎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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