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胡景伊[こ けいい]
胡 景伊(こ けいい)は、清末、中華民国の軍人。川軍(四川軍、四川派)の指導者の1人。字は文瀾。 == 事跡 ==
=== 清末の事跡 === 製塩業を営む家庭に生まれた。1901年(光緒27年)、官費により日本へ軍事留学に向かう。成城学校に入学し、その後、陸軍士官学校の歩兵科で学んだ。同期には、蔡鍔や蒋方震がいる。留学中に、藍天蔚らとともに拒俄学生軍を組織し、軍国民教育会に参加した。 1904年(光緒30年)に帰国し、四川総督錫良から四川陸軍武備学堂管堂委員兼教習に任命され、中下級の軍官を訓練した。1907年(光緒33年)、錫良が雲貴総督に異動して昆明に赴任すると、胡もこれに随従する。胡は、督練処参議官、雲南陸軍小学・雲南陸軍講武堂総弁等の役職をつとめた。1909年(宣統元年)、広西巡撫に赴任した沈炳堃の招聘により、胡は広西省に異動して新軍協統に任命された(この当時、広西省には新軍は1協しか存在しなかった)。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「胡景伊」の詳細全文を読む
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