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能褒野王塚古墳(のぼのおうつかこふん)は、三重県亀山市田村町にある前方後円墳。別称を「丁子塚(ちょうじづか)」とも。能褒野古墳群を構成する古墳の1つ。 宮内庁により「能褒野墓(のぼののはか)」として第12代景行天皇皇子の日本武尊の墓に治定されている。 伊勢北部地方では最大規模の古墳で〔三重県で最大規模の古墳は御墓山古墳(三重県伊賀市、墳丘長188メートル)、伊勢地方で最大規模の古墳は宝塚1号墳(三重県松阪市、墳丘長111メートル)。〕、4世紀末(古墳時代前期)の築造と推定される。 ==概要== 三重県北部、御幣川・安楽川(いずれも鈴鹿川支流)合流地点から東方北岸の台地西端部に位置する古墳である。周辺には10数基の古墳が分布し、これらは「能褒野古墳群」と総称される。古墳群中で最大規模の本古墳は、かつて「丁子塚」と称されていたが、これは前方後円墳の形状が銚子になぞらえられたことによる。1879年(明治12年)に宮内省(現・宮内庁)により皇族墓に治定されたため現在まで同庁の管理下にあり、これまで1929年(昭和4年)に帝室林野局による測量調査、2013年度(平成25年度)に宮内庁書陵部による墳丘測量調査および周囲古墳の試掘調査が実施されたが、主墳の発掘調査は実施されていない。 墳形は前方後円形で、前方部を南東方に向ける。墳丘長は90メートルを測り、伊勢北部地方では最大規模になる〔。外形は前期の柄鏡形から中期古墳への移行期を呈する。墳丘のうち後円部は2段または3段築成、前方部は1段築成。墳丘表面からは鰭付円筒埴輪・器財埴輪などの埴輪片が検出されている。また墳丘周囲には外溝・外堤が巡らされているが、現在に見るものは1880年(明治13年)の新設によるもので、元来の様子は明らかでない。埋葬施設は詳らかでないが、言い伝えでは陵墓治定以前の墳頂には何人もの人が入れる盗掘坑があったといい、元々は竪穴式石室であった可能性が指摘される。 この能褒野王塚古墳は、4世紀末の築造と推定される。付近には同時期の名越古墳(前方後円墳、墳丘長60メートル)があり、両古墳は鈴鹿川流域で初めて前方後円墳として築造された古墳になる。被葬者は考古学的には明らかでないが、『日本書紀』や『古事記』の伝承(後述)に基づき、現在では宮内庁により景行天皇皇子の日本武尊の墓に治定されている。この治定に伴い、1895年(明治28年)には古墳傍に日本武尊を祀る能褒野神社も創建されている。 なお付近では、奈良時代に至って伊勢国府(鈴鹿市広瀬町・西富田町の長者屋敷跡)が置かれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「能褒野王塚古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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