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支那(シナ)とは、現在の中華人民共和国またはその一部の地域に対して用いられた地理的呼称、あるいは王朝・政権の名を超えた通史的な呼称の一つである〔ジャーナリスト堀田貢得によれば、「語源に差別の要素はないが、日本と中国との戦争中に多くの日本人が侮辱の感情を込めて用いたので、不適切な表現ではないとの反論はしがたく、公的場所での使用はほとんどない」とされる。〕。 == 言葉の由来 == 支那という言葉の語源は諸説あるが、明朝時代末期にこの地域にいたイタリア人イエズス会宣教師衛匡国(Martino Martini)による著作”Nuvus Atlas Sinensis”では、中原初の統一王朝秦(拼音: ''Qín'', 梵語: ''Thin''・''Chin'', ギリシャ語・ラテン語:''Sinae'')に由来するとされる〔下中 1938、485頁〕。衛匡国によれば、この秦の呼称が周辺諸国に伝わったが、現在のインドで転訛してシナになったとしている。これが一般的な通説とされるが、戦前の日本の地理学者の藤田元春などは反対説を主張している。その諸説によると交易品であった絹糸に由来するもの、民族名である「チャン族」あるいは、「インドから見て辺鄙で遠いところ」との意からきたともいう。なお、このシナの発音が西洋に伝わり英語の"China"フランス語の"Chine"などの語源ともなったといわれている。紀元2世紀前後にはインドで中国を指して「チーナ・スターナ"China staana"」と呼んでいた。この表記について徐作生は、1995年に雲南省西部の都市「支那城」に由来するという説を発表している。インド側からポルトガルでは大航海時代から現代まで一貫してChinaとよぶ。ギリシャ、ラテン圏では国名、地域名は女性形になることが多く、秦の国名はシーナとなる。 インドから仏教が隋に伝来した当時、経典の中にある梵語「チーナ・スターナ"China staana"」を当時の訳経僧が「支那」と漢字で音写したことによって彼の地に伝来した。この時の当て字として、「支那」のほか、「震旦」「真丹」「振丹」「至那」「脂那」「支英」等がある。そのため、「支那」はこの地域の当時の公用語からすれば外来語であり、当初は外国人からの呼称であったと言える。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「支那」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shina (word) 」があります。 スポンサード リンク
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