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脇謙二 : ミニ英和和英辞書
脇謙二[わき けんじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [わき]
 【名詞】 1. side 
: [に]
  1. (num) two 

脇謙二 : ウィキペディア日本語版
脇謙二[わき けんじ]

脇 謙二(わき けんじ、1960年8月10日 -)は、将棋棋士。棋士番号138。大阪府大阪市出身。高島一岐代九段門下。竜王戦1組通算7期。
== 棋歴 ==
1975年に5級で奨励会入り。1977年初段。1979年に四段となりプロ入りを果たす。
1980年、第22期王位戦で挑戦者決定リーグ入りを果たす。1981年、第8期棋王戦で本戦入り。1982年、第24期王位戦でもリーグ入りを果たす。
1983年、第41期順位戦のC級2組にて10戦全勝の成績でC級1組昇級を果たすと、翌年度の第42期でも9勝1敗の好成績でB級2組への連続昇級を果たす。第43期B級2組では7勝3敗、第44期でも8勝2敗の好成績を残すが、惜しくも昇級は果たせず。以降も勝ち越し続けるものの、B級2組に留まることとなる。しかし、1986年度の第13期棋王戦では本戦準決勝に進出する活躍をした。1988年度の第47期順位戦で8勝2敗の好成績を残したものの、順位の関係で不運にも昇級を逃した。
1990年度、第3期竜王戦2組で準優勝を果たし、1組昇級を果たす。1992年には第5期竜王戦1組優勝の快挙を果たし、本戦でも準決勝にまで進出した。
1992年度の第51期順位戦B級2組では5勝5敗となり、同組昇級以来続いていた連続勝ち越しが8期でストップした。1993年に第6期竜王戦1組で初戦から連敗し2組降級となる。1994年の第7期竜王戦ですぐ1組復帰を果たすが、同年度の第53期順位戦B級2組では4勝6敗となり初めて負け越しとなった。以降、竜王戦では1組に在籍し続け、順位戦B級2組では大きく勝ち越したり負け越したりしない状態が続いた。
1998年、第11期竜王戦で2組に降級。1999年、第12期竜王戦でも振るわず3組に連続降級となる。同年度、第58期順位戦B級2組で8勝2敗の好成績を残すがまたも昇級ならず。2001年、第14期竜王戦3組で準優勝を果たし2組に復帰するが、翌年の2002年に再度3組降級。そして、2003年、第61期順位戦B級2組で1勝9敗となり自身初となる降級点がつく。翌年度の第62期に7勝3敗と勝ち越し一度降級点を消滅させるが、再翌年度の第63期では1勝9敗と低迷し再び降級点。2006年、第64期でも1勝9敗で連続降級点となり、C級1組に降級した。
2008年、第21期竜王戦3組で初戦から連敗し4組に降級。2009年、第22期竜王戦4組で準決勝まで勝ち進み3組復帰まで後1勝とするが、準決勝、昇級者決定戦で敗れ、定員調整の昇級者決定戦のチャンスも逃し3組復帰はならなかった。2010年、第23期竜王戦4組で初戦から連敗し5組に降級。2011年の第24期竜王戦5組でも1勝も出来ず3連敗し、6組に降級した。2013年、第71期順位戦C級1組で10戦全敗となり、C級1組で初となる降級点がついた。翌年度の第72期は5勝5敗の五分としたもの、その翌年度の2015年、第73期で3勝7敗となり、二度目の降級点でC級2組に降級した。
2015年度(第57期)王位戦予選では、当年度各棋戦で高勝率を上げた斎藤慎太郎を破るなど4連勝し、自身21期ぶりとなるリーグ入りを決めた。
ただし当年度は、王位戦以外の全てのトーナメント系棋戦(順位戦以外の全棋戦)で初戦負けという偏った成績に終わった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「脇謙二」の詳細全文を読む




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