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膳所焼 : ミニ英和和英辞書
膳所焼[ぜぜやき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぜん]
 【名詞】 1. (small) table 2. tray 3. meal 
: [ところ, どころ]
 (suf) place

膳所焼 : ウィキペディア日本語版
膳所焼[ぜぜやき]

膳所焼(ぜぜやき)は、滋賀県大津市膳所にて焼かれる陶器。茶陶として名高く、遠州七窯の一つに数えられる。黒味を帯びた鉄釉が特色で、素朴でありながら繊細な意匠は遠州が掲げた「きれいさび」の精神が息づいている。
== 歴史 ==
元和7年(1621年膳所藩主となった菅沼定芳が、御用窯として始めたものを膳所焼(御庭焼)と言う〔「滋賀県百科事典」 P439「膳所焼」の項(滋賀県百科事典刊行会 大和書房 1984年)〕。また、膳所藩領国内で安土桃山時代から江戸時代初期に焼かれた大江焼(瀬田大江(現大津市瀬田)の陶器、1620年代には築窯されていたとされる。)・勢多焼国分焼(石山)の3古窯と、膳所焼復興を目指した梅林焼雀ケ谷焼瀬田焼の総称としても用いられている〔。
菅沼定芳は、膳所藩主となった後の寛永6年(1629年)、膳所相模川の左岸に御用窯を築いた。定芳は本阿弥光悦小堀遠州松花堂昭乗との交友に影響を受け茶器を焼いたと言われている〔。
菅沼定芳移封後、寛永11年(1634年)新たに石川忠総が膳所藩主となった。忠総の実父大久保忠隣は、小堀遠州の師であった古田織部門下の大名茶人であり〔「落款花押大辞典」(小田栄一・古賀健蔵監修 淡交社 1982年)〕〔「古田織部 人と茶と芸術」(桑田忠親著 徳間書店 1968年)〕、忠総自身も小堀遠州と親交が深かった〔「小堀遠州の書状 1巻」(小堀宗慶 東京堂出版 2002年)〕ことから遠州の指導を受け茶器焼き物に力を注いだ〔「テクノクラート小堀遠州 近江が生んだ才能」(太田浩司 サンライズ出版 2002年)〕。膳所焼は遠州七窯の一つとして評判を上げ、茶入や水指などは諸大名らの贈答品として重宝された〔。しかし、膳所焼の隆盛は忠総治世時に留まり、慶安3年12月(1651年2月)忠総が死去し、慶安4年4月(1651年6月)後継の石川憲之伊勢亀山藩に移封すると、膳所焼は徐々に衰退していった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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