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大和型戦艦(やまとがたせんかん)は、大日本帝国海軍(以下海軍)が建造した戦艦の一艦型。海軍が建造した最後の戦艦艦型。戦艦として、排水量、主砲口径、共に世界最大であった〔戦艦は時代に淘汰され1955年竣工のフランスのジャン・バール以降、どこの国でも建造されていない。〕。 == 概要 == 大日本帝国(以下、日本)はワシントン海軍軍縮条約、ロンドン海軍軍縮条約の延長に応じず、列強各国が海軍力増強を自粛していた海軍休日は終わった〔#メカニズムと戦闘記録14頁〕。大和型戦艦は艦艇数で勝る米英を質で凌ぐため、第三次海軍軍備補充計画の際に建艦技術の粋を集めて建造された戦艦である。当時欧米諸国はワシントン海軍軍縮条約で規定された35,000t前後の戦艦を建造していたが、これらを凌駕する46cm砲を装備した結果、基準排水量は64,000tとなり、世界最大の戦艦として建造された。「量の不足を卓越せる質で補うより道なし」という発想で開発された戦艦である〔。松本喜太郎(海軍技術大佐)談。〕。1929年に平賀譲が提案した金剛代艦型戦艦の影響が強いとも言われる〔#大和へのレクイエム48頁、71-73頁〕。1934年に起草された新戦艦要求案では「制空権下の艦隊決戦」で用いられることになっていた〔#武蔵建造記録16頁〕。 日本海軍では戦艦に対し日本の旧国名に因んだ名が付けられており、「大和」は奈良県の旧国名(大和)から命名されたが、単に旧国名としてでは無く、「日本」の別称として意味もあったとする説がある〔#真相大和ノ最期94頁〕。同様の主旨の命名として、建造当初世界最大の戦艦だった扶桑(扶桑は日本の美名)と山城(長く都の置かれた京都府の旧国名)がある。一番艦大和及び二番艦武蔵が大戦中に就役している。 現在でこそ戦艦大和は日本国民に最も知られた軍艦と言っても過言ではないが、太平洋戦争中はその存在自体が最高軍事機密とされたこともあり(海軍関係者には、名前だけはいつの間にか広まっていた)、当時の国民には長門型戦艦の長門と陸奥が海軍の象徴として親しまれていた。その後、史上最大の威容を誇りつつも殆ど活躍の機会なく、悲劇的な最期を迎えた故か、数々の媒体(映画、漫画、アニメや、プラモデルなど)で幅広い年代によく知られるようになっていった。戦後の日本国内での注目度への定量表現を交えた言及は映画〔奥村賢『映画と戦争 撮る欲望/見る欲望』280-340頁〕、出版物(180冊)、プラモデル、インターネット上での関連ホームページ約13000件、大和ミュージアムなどの数字、関連施設が挙げられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大和型戦艦」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yamato-class battleship 」があります。 スポンサード リンク
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