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自在置物(じざいおきもの)は、日本の金属工芸の一分野。鉄や銅、銀、赤銅(金と銅の合金)、四分一(銀と銅の合金)などの金属板を素材として、龍、蛇、鳥、伊勢海老、海老、蟹、蝶といった動物の模型を写実的に作るのみならず、それらの体節・関節の部分を本物通りに動かすことをも追求し、そのための複雑な仕組みを内部に施すのが大きな特徴である。 == 概要 == 江戸時代の中頃、戦乱が絶えて日本社会の気風が太平になると、武具類の需要が減少した。これを受け、甲冑師の一部には技術伝承と収入源を兼ねて、本業である甲冑のほかに、鍔・轡などの武具・馬具や、火箸・花瓶・箱といった様々な民具を鉄で製造・販売する者が現れるようになった〔原田(1993)、p. 17〕〔原田(2010)、p. 15〕。自在置物もこうした流れの中で甲冑師、とりわけ明珍派の工人らによって生み出された工芸品である。同派は鉄の打ち出し加工に関して卓越した技術を保有しており、自在置物の表現や細工にもそれが活かされている〔〔。 日本の金工作品の写実性が全般に高まるのは江戸時代後期からであるが、自在置物の発生はそれらよりも早く、かつそこにいかなる背景や目的があったのかは判然としない〔〔〔原田(2012. 4)、p. 41〕。ただ、先行する例としては「元禄八年五月吉日」「明珍宗介」の銘が入った鷲の置物の残欠が確認されている(V&A博物館所蔵)。この作品は首が左右に動く構造になっており、翼の形や羽模様の描写の写実性が高いことから、外観の写実表現を超える形で、やがて動きも自在にとれる置物が考案されたと推測される〔〔。自在置物として完成した作品のうち、現存最古の年号が記されたものは、「正徳三癸巳歳六月日」(1713年)の銘が刻まれた明珍宗察作の龍の置物(東京国立博物館所蔵)である〔東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 自在置物―本物のように自由に動かせる昆虫や蛇― 、2013年8月17日閲覧。〕。 近代以降も一部の金工家に製作技術が継承されるが従来の明珍系の作品は見られなくなり、代わりに明治から昭和にかけては京都の高瀬好山(たかせ こうざん)と冨木家一門のグループが中心となり、自在置物の作品を量産している〔〔。 しかし自在置物は、日本国内でよりもむしろ海外(主に欧米)において高い評価を受ける傾向にあり〔内藤(2008)、p. 42〕、早くも1888年(明治21年)に、フランスで出版された日本美術の紹介雑誌"Le Japon Artistique"にて言及されている〔原田(1993)、p. 4〕〔原田(2010)、p. 7〕。また、前述した高瀬好山一派は海外への輸出を念頭において作品を製作しており、外交官の佐藤尚武が駐在先のフランスへの土産物として好山の工房で作られた置物を贈ったところ、好評を博したために追加注文を出したという話も残っている〔原田(1993)、p. 16〕〔原田(2010)、p. 14〕。 こうした事情が重なり、自在置物はその多くが外国に残る一方で日本国内にはあまり伝わらず、長い間存在を知られることがなかった〔〔〔原田(2010)、p. 6〕。自在置物が最初に展覧会で紹介されたのは、1983年(昭和58年)10月に東京国立博物館で催された特別展「日本の金工」においてであり、以降幾度かの美術展に出品されたことで知名度が上昇していった〔〔。 そもそも「自在置物」という分類名自体が、上記の「日本の金工」展で使用された「自在龍置物」、「自在鷹置物」などの展示名がそのまま引き継がれて定着したものである〔〔〔。また、自在置物が、江戸時代ではどのように呼ばれていたかについては、確かな資料がないために不明である〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「自在置物」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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