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臼井六郎(うすいろくろう、1857年頃 - 1917年11月)は、日本史上最後の仇討をした人物として知られる元秋月藩の武士。明治に改元される幕末最後の年に、藩内の政治的対立から暗殺された両親の仇討ちを13年後に果たしたが、明治政府が発布した仇討禁止令により、犯罪者となり、裁判で懲役刑を宣告された。江戸時代であれば武士の誉れと称えられたものが、時代の変化により断罪されるという、明治維新の渦に翻弄された悲劇的事件として世間を大いに賑わせた。 ==事件のあらまし== ===発端=== 筑前国秋月の藩士、臼井亘理(六郎の父)は、藩命により鳥羽伏見の戦いのため京都に赴いていたが、1868年5月に帰郷、京都の状況を藩に伝えたのち、夜須郡野鳥村の自宅にて客を招いて酒宴を行なった。その夜、何者かが臼井家に押し入り、亘理と妻・八重子(清子?)を殺害し、一緒に寝ていた3歳のつゆ(六郎の妹)にも傷を負わせた。六郎は乳母と添い寝をしていたため難を逃れた(祖父といたとする説も)。このとき、亘理は42歳、八重子は37歳だった〔臼井六郞仇討事件 『明治以降大事件の真相と判例』小島徳弥 著 (教文社, 1934)〕〔臼井六郎 一瀬直久 東京三十間堀仇討 『大日本復讐叢書』 田沢正三郎編 (鶴声社, 1889)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「臼井六郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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