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臼井 哲夫(うすい てつお、1863年3月18日(文久3年1月29日〔『人事興信録』第10版 上、ウ64頁。〕)- 1935年(昭和10年)6月29日〔『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』93頁。〕)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 ==経歴== 肥前国高来郡島原村(現:長崎県島原市)で、臼井三平の長男として生まれる〔〔『衆議院議員列伝』323頁。〕。島原学校、松風義塾、小叩塾などを経て慶應義塾で学ぶ〔〔。 1880年、同志と共に西海日報社を創立し、翌年まで同紙の記者を務めた〔〔。1888年、日本輸出米商社事務長に就任〔。以後、総武鉄道 (株) 庶務課長、近江鉄道 (株) 取締役、磯湊鉄道 (株) 取締役、上野鉄道 (株) 社長、吾妻川電力 (株) 社長などを歴任した〔。 1883年、長崎県会議員に当選〔〔。1898年8月、第6回衆議院議員総選挙において長崎県第三区から出馬し当選〔。その後、第8回、第9回、第10回総選挙でも当選〔。1909年、日本製糖汚職事件で検挙され、同年4月28日、衆議院議員を辞職〔『官報』第7754号、明治42年5月4日。〕。同年7月3日に、東京地方裁判所第二刑事部において重禁固10ヶ月の有罪の判決が言い渡された〔「日糖事件 - 汚職事件と検察権の拡大」504-511頁。〕。その後、判決を不服として控訴したが、同年8月10日に、東京控訴院第一部で控訴棄却の判決が言い渡され、臼井は上告せず有罪が確定した〔「日糖事件 - 汚職事件と検察権の拡大」498、512頁。『東京朝日新聞』1909年12月18日、朝刊5頁。〕。1915年3月、第12回総選挙に出馬して当選し議員に復帰〔。その後、第13回、第14回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算7期務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「臼井哲夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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