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臼井 荘一(うすい そういち、1902年(明治35年)7月26日 - 1987年(昭和62年)10月18日)は、日本の政治家、実業家である。千葉興行二代目社長。衆議院議員(8期)。栄典は勲一等瑞宝章、千葉市名誉市民。学位は商学士(早稲田大学)。 国務大臣総理府総務長官を歴任。 == 来歴・人物 == 東京市深川区越中島(現在の東京都江東区越中島)に生まれる。旧制・東京府立第三中学校(現在の東京都立両国高等学校)を経て、1925年(大正14年)3月、早稲田大学商学部商学科を卒業。 家業のセメント業から父臼井真三が起こした興行業(千葉興行株式会社、西友新検見川店のビルオーナー、シネマックスなどの映画館)で、千葉市を中心に劇場や映画館を経営するかたわら、千葉市議会議員を3期、千葉市議会議長を務め、千葉県議会議員を1期務める。 戦後は公職追放を経て追放解除後の1952年の総選挙で衆議院議員に初当選を果たし、以後8期務める。当選同期には、福田赳夫・大平正芳・黒金泰美・内田常雄・植木庚子郎・丹羽喬四郎・灘尾弘吉・宇都宮徳馬・加藤精三・山崎巌・今松治郎・重政誠之・町村金五・古井喜実ら。 1964年(昭和39年)10月15日、東京オリンピック・デモンストレーション剣道試合において園田直と戦い引き分ける。 第3次池田内閣改造内閣に当時非国務大臣であった総理府総務長官として就任。第1次佐藤内閣で総理府総務長官に再任。1965年(昭和40年)5月19日に総理府総務長官が国務大臣となるも、同年6月3日に国務大臣総理府総務長官を離任したため、臼井の閣僚在任期間はわずか16日間となった。1974年(昭和49年)、勲一等瑞宝章を受章する。 1976年(昭和51年)、第34回衆議院議員総選挙に落選して、いったんは政界を引退する。地盤は三男の日出男が継ぐものの、1981年(昭和56年)に行われた参議院議員補欠選挙で自民党公認として出馬、当選し1983年(昭和58年)まで務めた。早稲田大学評議員として、早稲田大学100周年事業の新学部、キャンパス選定で幕張派として活動したが、所沢派に敗れた。 1987年(昭和62年)10月18日、満85歳で死去。同年、千葉市名誉市民に選ばれる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「臼井荘一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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