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與田 純次(よだ じゅんじ、1925年11月19日 - )は、日本の戦争体験語り部、実業家。兵庫県城崎郡竹野村(現:兵庫県豊岡市竹野町)出身。シベリア抑留経験者。インターネットを利用して自らの戦争体験を若い世代に伝える活動を行っている。過去にはシベリア抑留に関しての執筆やメディアからの取材も受けたことがある。90歳を迎えた現在(2015年)でも、自身が経営する会社の代表取締役社長を務め、日夜働いている。長男は東邦大学医学部医学科教授(医学博士)の与田仁志〔医療系情報誌『Fetal & Neonatal Medicine』(2014年4月号) "私のモチベーション"(与田仁志著)〕。元阪神タイガース監督兼選手の村山実、神戸大学名誉教授(農学博士)の保田茂は妻の従兄弟にあたる。 ==経歴== *1925年11月、兵庫県城崎郡竹野村(現:兵庫県豊岡市)で、商売人の父・與田治郎右衛門と母・よしのもとに生まれる。生家は江戸時代まで竹野村の庄屋であった〔神戸新聞・2012年9月27日「元庄屋の松」〕。 *1938年3月、兵庫県立城崎郡竹野村立竹野尋常高等小学校 卒業 *1942年12月、兵庫県立豊岡商業学校 卒業 *1943年2月、大日本帝国上海大使館(現:在上海日本国総領事館) 勤務 *1945年2月、満洲独立工兵隊1893部隊 現役入隊〔『この記録わすれまじ』(1979年、独工十八柳生会編) 隊員名一覧〕 *1945年8月、ソ連に日本軍捕虜としてシベリアに連行される。 *1947年4月、シベリア抑留より帰還〔産経新聞・1976年1月19日、但丹ニュース「シラカバのトランプ」〕。 *1948年4月、兵庫県城崎郡竹野村にて保険代理業 開業 *1948年4月、兵庫県多可郡野間谷村にて天然凍豆腐製造業 開業 *1949年6月、兵庫県養父郡八鹿町にて乾麺製造業 開業 *1949年12月、兵庫県養父郡八鹿町にて凍豆腐製造業九鹿冷凍工場 設立開業 *1951年10月、兵庫県城崎郡竹野村にて豆腐油揚製造業 開業 *1955年4月、兵庫県豊岡市寿通にて元庄屋商店豊岡営業所を開業し、豆腐油揚製造用機器及び各種燃焼機器卸小売及び工事施工 開業〔関西電力・でんかライフ.com 企業インタビュー〕 *1955年4月、竹野商工会議所副会長 就任 *1955年4月、竹野村観光協会企画宣伝部長 就任 *1960年4月、北但信用組合理事 就任 *1975年3月、兵庫県豊岡市中陰にて兵庫コロナ販売(住宅設備機器卸売) 開業 *1988年11月、兵庫県豊岡市幸町にて中島水道工業所 設立開業 *1991年2月、海部俊樹(第76/77代)内閣総理大臣より、シベリア抑留に対する慰藉の念として賞状と銀杯が授与される〔https://www.facebook.com/yodajunnji/photos/a.354424374677719.1073741829.351628048290685/354424521344371/?type=3&theater〕。(その後も福田康夫首相、菅直人首相から賞状が授与されている。) *1998年7月、全国強制抑留者協会主催のシベリア慰霊訪問団に参加。自身が収容されていたラーゲリ跡地にて弔辞を述べる〔『シベリア慰霊訪問記』(1997年、全国強制抑留者協会編) "シベリア慰霊訪問団に参加して"〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「與田純次」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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