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興安総省(こうあん-しょう)は満州国にかつて存在した省。中国東北部の北西に位置する。前身は1932年(大同元年)3月9日に設置された興安省であり、この項目では興安省及びその後の一時期の期間設置された興安四省も併せて解説する。 ==沿革== 1932年(大同元年)3月9日、『興安省分設三分省之件』の規定に基づき、満州国統治地区であった内蒙古盟旗地区に興安省および興安東分省、興安南分省、興安北分省の3分省が設置された〔満州国『政府公報』第1号 1932年4月1日〕。他省とことなり興安省には省公署が設置されず、満州国国務院興安局により行政管理が行われた。同年4月5日、国務院は興安三分省の分省公署の駐在地を〔満州国『政府公報』第2号 1932年4月15日〕、6月27日に各分省の管轄区域を〔満州国『政府公報』第18号 1932年6月27日〕、8月1日に各分省省長及び各旗旗長を任命〔満州国『政府公報』第65号 1932年11月12日〕、8月3日に興安局を興安総署に改編した。 1933年(大同2年)、熱河省昭烏達盟西喇木倫河以北に興安分西省が設置されることが決定し〔満州国『政府公報』第130号 1933年5月10日〕、7月12日に行政区域を定める公報が公布されている。 1934年(康徳元年12月1日、興安総署が廃止となり、その管轄下の分省が省に昇格したが、1944年(康徳10年)10月1日に興安四省が合併し興安総省が設置され、省公署が興安街(現在のウランホト市に設置され〔満州国『政府公報』第2789号 1943年9月20日〕、その下部に興安北省(公署:海拉爾、6旗2市を管轄、興北地区とも)、興東地区(行署:扎蘭屯街、4旗を管轄)、興中地区(総省公署直轄、6旗1県を管轄)、興南地区(行署:開魯街、5旗2県を管轄)、興西地区(行署:林西街、4旗1県を管轄)を設置し、25旗4県2市を管轄するようになった〔満州国『政府公報』第2822号 1943年10月29日〕。 1945年8月のソ連対日参戦による満州国崩壊に乗じ、省長だったボヤンマンダフが東モンゴル自治政府に改組する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「興安総省」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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