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興浜線(こうひんせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が計画していた北海道紋別郡興部町の興部駅と枝幸郡浜頓別町の浜頓別駅間の鉄道路線である。一部区間が興浜北線・興浜南線として開業したものの、全通することなく1985年に廃止された。 == 概要 == 改正鉄道敷設法別表第145号前段に規定された「北見国興部ヨリ幌別、枝幸ヲ経テ浜頓別ニ至ル鉄道」である。 このうち、興部 - 雄武間が1935年(昭和10年)に興浜南線として、北見枝幸 - 浜頓別間が1936年(昭和11年)に興浜北線として先行開業したが、開業区間も太平洋戦争の激化により1944年(昭和19年)11月に不要不急線として休止された。太平洋戦争後の1945年(昭和20年)12月に休止区間は復旧のうえ営業が再開された。 未成区間のうち、雄武 - 北見音標間はほぼ路盤も完成し、北見枝幸 - 北見音標間についても一部区間が着工され、残る区間についても「新幹線の耐寒性試験線」として2年間テストを行い、その後在来線に転用する、という奇策で建設を誘致しようとしていたが、結局は誘致に失敗し、実現しなかった。 1980年の国鉄再建法施行を受けて興浜南線・興浜北線とも廃止対象の第1次特定地方交通線に指定され、未成区間の雄武 - 北見枝幸間の建設も凍結・中止され、建設されていた構造物も放棄された。地元地方自治体では、「オホーツク縦貫鉄道構想」などにより全線開業による存続を目指したが、収支が見合う見込みが全くないことから断念され、1985年(昭和60年)に南北両線ともに廃止された。 興浜北線・南線が運行していた当時は、南北両線の終端である雄武駅と北見枝幸駅の間は宗谷バスにより連絡されていた。廃止後は、北紋バスが興浜南線区間を、宗谷バスが興浜北線区間および引き続き雄武 - 北見枝幸間を運行している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「興浜線」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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