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興禅寺刃傷事件 : ミニ英和和英辞書
興禅寺刃傷事件[こうぜんじ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう]
 【名詞】 1. interest 2. entertainment 3. pleasure 
: [ぜん]
 【名詞】 1. Zen (Buddhism) 
禅寺 : [ぜんでら]
 【名詞】 1. Zen temple 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [は, やいば]
 【名詞】 1. blade 2. sword
刃傷 : [にんじょう]
 (n) bloodshed
: [しょう]
 【名詞】 1. wound 2. injury 3. hurt 4. cut 5. gash 6. bruise 7. scratch 8. scar 9. weak point
: [こと]
 【名詞】 1. thing 2. matter 3. fact 4. circumstances 5. business 6. reason 7. experience 
事件 : [じけん]
 【名詞】 1. event 2. affair 3. incident 4. case 5. plot 6. trouble 7. scandal 
: [くだん, けん]
 【名詞】 1. matter 2. case 3. item 

興禅寺刃傷事件 ( リダイレクト:宇都宮興禅寺刃傷事件 ) : ウィキペディア日本語版
宇都宮興禅寺刃傷事件[うつのみやこうぜんじにんじょうじけん]

宇都宮興禅寺刃傷事件(うつのみやこうぜんじにんじょうじけん)は、寛文8年(1668年3月2日下野興禅寺栃木県宇都宮市)において、宇都宮藩の前藩主奥平忠昌法要の際に起こった家臣相互の刃傷事件。4年後の浄瑠璃坂の仇討の原因となった。
== 概要 ==
刃傷事件が起こったのは、宇都宮藩前藩主奥平忠昌の死去より14日が経過していた寛文8年3月2日(西暦1668年4月13日)のことである。
宇都宮藩奥平家には長篠の戦いで武勲を挙げ、将軍に対する永代御目見えという特権を得た「七族五老」と呼ばれる重臣12家〔江戸時代に入り「大身衆」と呼称変更した。〕があった。忠昌の法要において、そのうちの2家の当主であった奥平内蔵允(奥平家の譜代衆である五老の家柄。別名「黒屋家」。1000石取)と奥平隼人(主君奥平家の傍流にあたる七族の家柄。別名「中金家」。1300石取)の2人がささいなことから口論となり、憤慨する内蔵允が隼人に抜刀した。内蔵允の法要への遅刻を「腰抜け」となじった隼人を武士の一分を立てるためと斬りつけたのである〔深谷(2000)p.64〕。
彼らは、互いのが実の姉妹という従兄弟同士であったが、気質が異なり、平素からソリが合わなかった。武人肌の隼人から軽侮されていた文人肌の内蔵允が、下野興禅寺栃木県宇都宮市)における前藩主奥平忠昌の葬儀の場という大事さを顧みず、たび重なる面罵に耐えかねて抜刀した。ところが、返り討ちに遭って刀傷を被った内蔵允は、満座の法要でいっそうの侮辱を受けた。その場に居合わせた大身衆の同輩、兵藤玄蕃(1000石取)などの仲裁により、双方はそれぞれの親戚宅へ預かりの身となった。だが、その夜、内蔵允は切腹する。藩庁に対しては、興禅寺での刀傷から「破傷風で死去」と報告された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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