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興福院(こんぶいん)は、奈良県奈良市法蓮町にある浄土宗の尼寺。山号を法蓮山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は和気清麻呂ともいい、藤原百川ともいう。 == 歴史 == 興福院の創建については複数の説があり、中世以前の沿革はあまり明らかでない。 寺はもと添上郡興福院村(平城京の右京四条二坊、現在の近鉄尼ヶ辻駅近く)にあり、現在地に移ったのは近世のことである。創建について、寺伝では天平勝宝年間(749 - 757年)、和気清麻呂が聖武天皇の学問所を移して創建し、弘文院と称したという。『七大寺日記』(嘉承元年(1106年))には藤原百川が創建した興福尼院が前身とされている。また、護国寺本『諸寺縁起集』には、宝亀元年(770年)、藤原広嗣の妻・輪立氏の発願で創建されたとある。 古くは興福院、弘文院の2つの寺号が用いられ、本尊は薬師如来であった。前述の和気清麻呂を開基とする説は、和気氏が設立した学問所を弘文院と称したことから出たものと推測されている。 寺はその後衰退していたが、安土桃山時代に大和大納言豊臣秀長から寺領200石の寄進を受け、復興した。寛永13年(1636年)には徳川家光から再び寺領200石を寄進されている。現在残る本堂、客殿、大門はこの頃の建立である。徳川家綱代の(寛文5年(1665年))に現在地の法蓮町に移転した。上記の建物も移築されている〔歴史の節の記述は『法華寺と佐保佐紀の寺』(日本の古寺美術17)、pp.148 - 153による。〕。 第2世の尼僧は、元大和郡山城主豊臣秀長の未亡人である。3代徳川家光から14代徳川家茂までの将軍の位牌をまつっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「興福院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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