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舛田 圭太(ますだ けいた、1979年2月27日 - )は、石川県出身の日本のバドミントン選手(既に現役引退)。現在はコーチ。金沢市立犀生中学校-金沢市立工業高等学校-日本体育大学を経てトナミ運輸で活躍。現在はトナミ運輸にコーチとして籍を置きながら、主に2009年に就任した日本代表ナショナルチームコーチ(担当は主に男子シングルス)として活躍している。シドニー五輪・アテネ五輪・北京五輪3大会日本代表。身長174cm、体重75kg。右利き。 == 概要 == 日本国内最高峰の大会である全日本総合バドミントン選手権大会で、男子シングルス優勝5回(5連覇)、男子ダブルス優勝5回(2連覇&3連覇)、混合ダブルス優勝4回(4連覇)、全種目通算14回(最多記録)の優勝を果たした。日本のバドミントン選手では初めて3度(最多記録タイ)のオリンピック出場を果たしており、その種目を問わない高いユーティリティ性と長年日本の頂点に君臨していた実績から、日本バドミントン史上最高の選手との呼び声も高い選手である。 バドミントンを始めたのは、父親がプレイをしていてジュニアクラブの指導もしていたのがきっかけである。高校時代は1995年のインターハイ男子シングルスで全国大会初優勝。同年の全日本総合バドミントン選手権大会で、高校生として史上初めて男子シングルスの決勝に進み準優勝。1996年のインターハイ男子シングルスで優勝し、同種目の2連覇を達成。 1997年に日本体育大学に進学し、シングルスではライバルであり、国際大会などではダブルスを組んでいた八代東高校出身の大束忠司と同僚となる。同年の全日本総合バドミントン選手権大会で男子シングルスの決勝に進み準優勝。1998年の全日本総合バドミントン選手権大会の男子シングルスでついに初優勝を飾る。さらに男子ダブルスも制し、2冠を達成する。以後、男子シングルスは2002年まで5連覇(史上2人目)、男子ダブルスは1999年も制し2連覇し、2年挟んで2002年から2004年まで3連覇を果たす。 2000年のシドニーオリンピックに男子シングルスの日本代表としてオリンピック初出場を果たす。2002年にはヨネックスオープンジャパンで男子シングルス3位入賞という日本人男子として2人目となる20年振りの快挙を成し遂げた。2003年まではシングルスとダブルスを両立していたが、2004年の全日本総合バドミントン選手権大会を最後にダブルスに専念することを表明。日本リーグや全日本実業団選手権などの団体戦では、チーム事情により、シングルスに出場することもあったが、個人戦でのシングルス出場はこれが最後となった。2004年のアテネオリンピックにパートナーの大束忠司と共に男子ダブルスの日本代表として2度目のオリンピック出場を果たす。2006年のトマス杯では日本代表チームを引っ張り、ベスト8に導いた。2007年はフランス・オープンで3位入賞し、スーパーシリーズで初めてベスト4に入った。その後、海外を転戦して世界ランキングを上げ、北京オリンピックに男子ダブルスの日本代表に選出された。舛田自身はバドミントン日本代表初の3大会連続での選出となった。北京オリンピック本番では、初戦のインドネシアペアにファイナルで勝利し、準々決勝に進出。3度目のオリンピックでついに悲願でもあった初勝利を飾った。準々決勝では格上の韓国ペアにファイナルまでもつれる激戦の末に敗れ、日本男子バドミントン選手としては、バルセロナオリンピックの松野修二・松浦進二組以来となるベスト8入賞となった。同年のヨネックスオープンジャパンの男子ダブルス準々決勝で舛田自身が"憧れの選手"と語るシドニーオリンピック金メダリストのチャンドラ・ウィジャヤ・トニー・グナワンペアを破り、準決勝に進出。準決勝では北京五輪4位入賞のデンマークペアに惜しくも敗れるが、堂々の3位入賞を果たす。2008年度を最後に男子ダブルスのパートナーである大束が引退を表明し、舛田の今後の動向についても注目されていたが、2009年から日本代表コーチに就任した。選手としてはナショナルチームからの引退は表明したが、現役引退はしない意向を示し、雑誌のインタビューで「全日本総合バドミントン選手権大会で男子シングルスを5回、男子ダブルスを5回、混合ダブルスを4回優勝しているから、あともう1回混合ダブルスを優勝すれば、全種目5回優勝になるから2009年も出ようと思っている」と語ったが、結局選手として団体戦、個人戦を含めて出場することはなく、日本リーグ最終日で引退を発表した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「舛田圭太」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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