|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 舞 : [まい] 【名詞】 1. dancing 2. dance ・ 鶴 : [つる] 【名詞】 1. crane (bird) (Gruidae family) ・ 要 : [かなめ] 【名詞】 1. pivot 2. vital point ・ 要塞 : [ようさい] 【名詞】 1. fort 2. stronghold 3. fortification ・ 砲 : [ほう] 1. (n,n-suf) gun 2. cannon ・ 砲兵 : [ほうへい] 【名詞】 1. artillery 2. gunner ・ 兵 : [へい] 【名詞】 1. (1) (common) soldier 2. rank and file 3. (2) army 4. troops 5. (3) warfare 6. strategy ・ 大隊 : [だいたい] 【名詞】 1. battalion ・ 隊 : [たい] 【名詞】 1. party 2. company 3. body (of troops) 4. corps
舞鶴要塞(まいづるようさい)とは、舞鶴鎮守府周辺に設置された大日本帝国陸軍の要塞。1897年(明治30年)11月に建設が開始された。舞鶴港にある海軍施設の防衛を任としていた。 日清戦争で勝利した日本は、南進を続けるロシアを脅威とし、対露防衛の要として新舞鶴(現在の京都府舞鶴市)に海軍の軍事拠点、舞鶴鎮守府の建設を決定、それに先立ち1887年(明治20年)3月、舞鶴要塞地帯(葦谷砲台)の建設に着手、陸軍も同年11月に砲台建設と舞鶴要塞砲台大隊を駐屯させている。なお全工事の完了は1903年(明治36年)10月のことだった。日本陸軍の要塞としては、日本海側に設置された唯一の軍事要塞地帯のものであった。 == 沿革 == * 1889年(明治22年):第四海軍区鎮守府を舞鶴に設置する事を閣議決定。 * 1897年(明治30年):舞鶴湾防衛を任とし舞鶴要塞建設着工。 * 1898年(明治31年):舞鶴要塞司令部を倉谷より下安久に移転。 *11月28日:舞鶴要塞砲兵大隊は京都府加佐郡余内村に移転〔『官報』第4634号、明治31年12月9日。〕。 * 1900年(明治33年)6月1日:舞鶴要塞司令部が加佐郡余内村の庁舎に開庁〔『官報』第5074号、明治33年6月4日。〕。 * 1901年(明治34年):舞鶴鎮守府、開庁。 * 1903年(明治36年):全工事完了。 * 1907年(明治40年):舞鶴要塞砲台大隊を舞鶴重砲兵大隊に改称。 * 1936年(昭和11年):舞鶴重砲兵連隊に昇格。 * 1940年(昭和15年):陸軍中部軍創設により、中部第71部隊と改称。 * 1945年(昭和20年):終戦。陸海軍、舞鶴要塞放棄。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「舞鶴要塞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|