翻訳と辞書
Words near each other
・ 船先雄
・ 船入道
・ 船具
・ 船内
・ 船内外機
・ 船内機
・ 船内荷役作業主任者
・ 船内郵便局
・ 船出
・ 船出の朝
船副使麻呂
・ 船医
・ 船原
・ 船原 (伊丹市)
・ 船原三郎
・ 船原峠
・ 船原枝里香
・ 船原町
・ 船原長生
・ 船取線


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

船副使麻呂 : ミニ英和和英辞書
船副使麻呂[ふね の ふくしまろ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふね]
 【名詞】 1. ship 2. boat 3. watercraft 4. shipping 5. vessel 6. steamship 
: [ふく]
  1. (n,pref) duplicate 2. copy 3. assistant 4. associate 5. vice- 6. sub- 7. deputy 8. substitute 9. auxiliary 10. supplementary 1 1. additional 12. collateral 1
副使 : [ふくし]
 【名詞】 1. vice-envoy 2. deputy delegate
: [あさ]
 【名詞】 1. flax 2. linen 3. hemp 
麻呂 : [まろ]
 【名詞】 1. (1) (arch) you 2. (2) (person having) thin or shaved eyebrows

船副使麻呂 : ウィキペディア日本語版
船副使麻呂[ふね の ふくしまろ]
船 副使麻呂(ふね の ふくしまろ、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族儒学者氏姓は船連、のち菅野朝臣官位従五位下山城権守
== 経歴 ==
河内国丹比郡出身。従七位下・直講に叙任された後、貞観5年(863年)および貞観8年(866年)の釈奠において講師を務め、それぞれ『礼記』と『春秋左氏伝』を講じている〔『日本三代実録』貞観5年8月7日,貞観8年8月5日条〕。貞観9年(867年従五位下に叙され、本拠地を右京に移す。清和朝において直講・助教を務めながら、儒学者として以下の実績を残している。
*貞観13年(871年応天門の変による焼亡から修復した応天門の改名の是非と、応天門・朱雀門羅城門の名称の由来について、大学博士菅野佐世らとともに『春秋左氏伝』『毛詩』『五経正義』に基づき改名の必要がないこと、各門の名称に関しては経典にも記載がないことを旨を言上した〔『日本三代実録』貞観13年10月20日条〕。
*貞観18年(876年)に大極殿火災があった際、廃朝することおよび群臣が政に従うことの是非について、大学博士・善淵永貞らとともに、『礼記』『春秋左氏伝』に基づき、紫宸殿で政を行うべきでないこと、群臣が政に従うのは当然である旨を言上した〔『日本三代実録』貞観18年4月11日条〕。
*元慶元年(877年平子内親王薨去した際、天皇は傍系親族に服さないが、太上天皇(清和上皇。平子内親王は叔母にあたる)が傍系親族の喪に服することの是非について、大学博士・善淵永貞らとともに、『礼記』『五経正義』を基に、上皇が喪に服さずとも礼意に背くことはない旨を言上した〔『日本三代実録』元慶元年2月14日条〕。
陽成朝に入ると、元慶元年(877年山城権守任ぜられる。また同年、同じ百済渡来氏族である津輔主と葛井直臣とともに菅野朝臣改姓している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「船副使麻呂」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.